年を重ねても友達は必要か?の問いに、あなたはどう答えるだろう?
人にあわせるのは苦手だから、NO?
寂しい老後はいやだから、YES?
自分より10才以上年上の人であっても、友達に関する悩みが尽きないというのは、意外だった。
私は生まれた頃から、どちらかというと友達作りがヘタだ。
思春期~青年期にかけて、どうやったら友達が出来るのか、友達と思ってもらえるのか?ずいぶん悩んだ。
その頃は、礼を重んじる、相手の話を聞く、プレゼントを贈る、誘うなどが友達として必要な要素だと思っていた。
ところが意外なことに、約束を平気で破り、自分の事をたくさんしゃべり、プレゼントはもらうだけで渡さず、誘われるまで声を掛けない人の方が、私よりも友だちづきあいが上手かった。
友達作りに関して、どうも私の目は濁っていたらしい。私が大切にしていたポイントは不要だったようだ。
代わりに、大切な視点が抜け落ちていた。
その視点とは
「他者の欠点も自分の欠点も受け入れる」。
人は意識しなくても、なんとなくこの人は私を受け入れてくれそうかくれなさそうか、判断している。
受け入れてくれなさそうな人の前では、人はちょっと緊張する。
素を隠そうとする。
自分が自分らしくいられない人と付き合いたいか?
あえて答えるまでもないだろう。
なにはなくとも、根底で繋がれる感じのする相手。そういう人が友達にピッタリだ。
ついでにちょっと抜けていると、なお一層(欠点のある)自分を受け入れてそうな気がして、肩の力が自然と抜ける。
ということは、親に「いい子でいなさい」「迷惑掛けるんじゃありません」と躾けられた「完璧」な子が友達できない->ということになる。
友達に恵まれて欲しいと願う親が、子を友達ができないように躾けてる。
なんとも、皮肉なもんだ。
なので、ある程度大人になってから友達が欲しかったら、まずは自分の欠点を認めよう。
相手の欠点を許せないのは、「自分の欠点を許すこと」を許していないのに、「相手だけ欠点を許される」ということに憤りを感じるからだ。
憤りを無かったことのように、感情にフタをすれば、途端にストレスフルになる。
ストレスを抱えて友達作りなんて、本末転倒だし、そもそも長続きしない。
自分の欠点と向き合って、欠点のない自分を目指すんじゃなく、欠点が有りながらその欠点と同居し、かつ出来る範囲で直していこうとすることができて初めて、他者と向き合える。
つまりは、友達欲しけりゃ、まず一人に立ち戻って、欠点という苦手を克服して、いいことも悪いことも自立して対処できるようになることだ。
友達からアイデンティティを与えられて、「それが自分」と思うような幻想を追いかけている内は、友達に操られる操り人形のような生き方しか出来ない。
操り人形のような生き方は、ひとたび友達がその遊びに飽きてしまえば、いとも簡単に捨てられる。
友達という幻想に依存するのは止めよう。
一人になろう。一人になって、自分を知る。
まずは、そこから。