無条件で受け入れてもらえる安心感

レンタルフレンドに関する記事を読んだ。
レンタルフレンドのいいところは「無条件で受け入れてもらえる安心感」なのだそうだ。
ある男性は学生時代、仲良くなれると思った人に一方的に自分の話ばかりして嫌がられた。
だからか、人に拒絶されることに怖さを感じる。
傷つくくらいならお金を払って優しくされる方がいいのだ。

人々は日常生活において、フェアーな位置に立っている。
従って相手が独りよがりなことを言い始めたら、距離を置く自由、断る自由がある。
この男性のように自分の話ばかりするタイプは、避けるだろう。
なぜってコミュニケーションの基礎が出来ていないから。

でもお金という対価を払えば、相手は居心地の悪さと金銭を交換して付き合ってくれる。
やさしく受け入れてくれる。それは一時期の安らぎになる。
しかし、根本的解決にはならない。
レンタルフレンドと離れた瞬間から、また元のフェアーな人間関係の世界に戻るのだから。

結局この男性が人と楽しく交わるためには、自らがどのような欠点を抱えているのか、またその欠点をどう克服していくのかを真剣に探らねばならない。
でもそれはしない。
苦しいから。自分を否定するように感じるから。

この男性は、未来のことを考えているのだろうか。
お金が払えなくなったときのことを考えているのだろうか。
今がよければ、全てよしってか?
安らぎを知った者が孤独に落とされるとき、前よりもっと底深い孤独に落ちていく。

ヘタをしたら依存を生みかねないレンタルフレンド。
できるならば、そのフレンドとの関わりを通して、現実社会で人と交われるようにちょっとずつ欠点を治していって欲しいものだ。

金銭を通しての繋がりは、なんらかの歪みの上になりたつ繋がり。
人間同士は金ではなく、心で繋がっている。
金と心を交換、ではなく、心と心を交換 できるようにね。