子供の心を一番踏みつけているのが親という真実

昨日、ちょっとだけ自身の過去に触れた(褒めることの弊害)。
このときの親の反応を思い出すと、つくづく自分勝手な親だと思います。

なぜなら第一声が
「そんなことしたら、弟や妹の結婚に響くじゃない!!」←えっ?そこ???

子供がなぜ自殺を図ったのか、どういう心境だったのか、には思い及ばず、ひたすら家の体面を気にする母親。

この瞬間、 私は要らない子決定 なわけです。
お家存続の妨げになるやつなど要らんということです。

当時は精神的に追い詰められていたので、これが酷いことだという認識さえ持てず終いでした。その後15年間も言葉通りに、”そうか弟や妹に影響でるな”と思っていました。認識したのは30歳超えてからです。

どんだけ親の考えに洗脳されてんだ?!

とはいえ、今もって言われたことを覚えているということは、私の中にわずかに残る「私を大切にしたい気持ち」が潰されたと意識したからでしょう。当時意識には登らなくても、確実に私は悔しくて悲しかったのです。

私の親が私にやったこと

私の親は私が困ったことを口にしようものなら、「私はもっと苦労している」と苦労話を披露する人でした。
私はそんな親が可哀想で、黙って聞いたあと、ねぎらいの言葉を掛けざるを得ませんでした。自分の心を抑えて。

子供が自殺を図るほど追い詰められている状況のときでさえ、お母さんを労わなくちゃならない。これでつぶれない心があるでしょうか?
それも追い詰めたのは他でもない親です。

親は子供を産んだだけ、育てただけ。あとは精神的に追い詰めて、自分の心の面倒みさせて、子供をもっともっと追い詰める、を繰り返す。
だから子供は学びます。

心を殺せば、生きてける

守られるべき、育まれるべき、存在なのに、心を殺してしか生きていけない。親のために心を全殺しして生きていかなきゃならない。
自立できていない子供は、そんなに苦しい状況下でも逃げることができません。耐えるしかありません。

同級生なら縁を切れば終わり。でも自立していない子供に親を切る選択肢はない。ひたすらメッタメタに踏みつけられ潰され続けるのです。
踏みつける側もいとも簡単に側に踏める人間が居るのですから、それはそれは気兼ねなくバンバン踏むわけです。

一旦自立するもまた元に戻る

ぺったんこになった子供もいずれ社会に出て行かねばなりません。そこで大切に包み込まれて育った子と同じように、コミュニケーション能力を要求される。はっきりいって応えることは無理です。
その子にとって、人とは踏みつけてくる存在ですから。

周りと打ち溶けずに居場所を失った子供は、やがて経済的自立が立ちゆかなくなり、帰りたくもない実家に帰らざるをえなくなる。
また踏みつけられる生活の繰り返しです。

踏みつけられることから始まった人生は、踏みつけられることで終わる。誰よりも長く強く踏むのは、その子を産んだ親。
だったらなんで生んだんだ!と思ってしまいます。

それでも断固戦おう!

きっと親もまたその親から踏みつけられた過去があり、その痛みを子供である我々に押しつけているのです。遺伝情報だけでなく、恐ろしい習慣まで継いじゃってる。

そこは断ち切らねばなりません。踏みつけられたら文句を言うこと、態度を冷たくすること。小さくでもいいから意思を出すことでイヤだと思っていることを相手に知らしめましょう。
そこで思わぬ返り討ちにあって凹んでしまったら、誰かに助けを求めましょう。

踏まれることから卒業です。