芸能人の家庭環境など、最近週刊誌に載っている。
その養育環境に、読者の我々は特異性を感じるかもしれない。
しかしその実、結構あちこちで虐待される環境はあるのだ。
今日2人と話をした。
一人は農産物直売所の販売員。
その女性は、私に子供がいない事を知って「私もね、子供が生まれるまで5年かかったのよ。頑張りなさい」→赤裸々なご自身のエピソードに基づく推奨&自分の価値の押しつけ。
さらに「私は夫婦二人の時でも、インスタントな中食に頼らず、きちんと全部作ったのよ。」→自分はキチンとしていたという自慢&自己確認。
大学生の娘を持つその女性、残念ながら大学生のお嬢さんは生きたいようには生きられていないだろう。
というのも、母親が自己と他者を区別出来ていないから。
おそらく母親はお嬢さんの個性を無視し、ガミガミと叱りながら育てたと推測される。
個性を潰された側は、いづれやってくる社会の重圧に耐えきれずドロップアウトするのである。
親が一番子供に授けようと努めるのは、他でもない「自分を信じる力」だ。
他者を認識せず、自分の思い通りに子供を操ろうとする親には、その力を授ける力量がない。
社会で耐え抜ける力を身につけてやれないというのは、遠回りな虐待の形だ。
二人目は近所の人。
お嬢さんがドックトレーナーの連れてきた犬を見たいといって、靴を履きながら出てきた。
そのときのお母さんの言葉「ちゃんと靴紐しめなさい」→支配的な言葉。
さらにドックトレーナーと面識のないお嬢さんは、車に乗っている犬を見に行きたいものの、少し躊躇している。それを見たお母さんは、「アンタ、グズグズしてないで、さっさと見ておいで」→戸惑っている心の無視&命令調の言葉。
このお嬢さんもまた、親に急かされて生きていそう。
お母さんは娘の様子や心の中をまったく想像せず、ただたださっさと物事を進めようとしている。
お嬢さん自体、このやり方で育てられたので特に不満はないだろうが、心の無視は自己を潰し、さらに強い潰しがかかったとき無気力状態を呈する。
いつも見てくれているお母さんがいるという思いが、外界へ向かう勇気をくれるのだが、このケースでは心の芯である母親のバックアップが得られないまま生きているので、本人が受け止められる以上の重圧がのしかかったとき、心がポッキリ折れてしまう。
社会の荒波を抜けるしなやかさを身につけさせない教育もまた、遠回りな虐待の形だ。
日常で接する平均的な人々の様相が、他者を認識し尊重することの出来ないものなのだ。
ということは、ほとんどの家庭で子供は潰されることや支配されることはあっても、すくわれ、気に掛けられることが少ないと言っていい。
支配の度合いが大きければ、子供への暴力に発展し、小さければ無気力・自信のない子供の創出ということになる。
子供が生き生きと笑顔を見せ、自分のやりたいことに邁進し、授けられた才能を発揮して人生を楽しむことができないというのは、即ち子育てに子供の成長を妨げるなんらかの虐待があったということ。
でも、ほとんどの親はそのことに気がついていない。
今日も、そこここの家庭で、小さな虐待は続けられている。