「COCORA 自閉症を生きた少女」を読んで

COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校 篇
COCORA 自閉症を生きた少女 2 思春期 篇

この本を読む前は、表紙の少女に言いしれぬ恐ろしさを感じ、足がすくんだ。
だが、読んでみてAmazonのレビューとは裏腹に、作者の感じたこと、体験したことを身近に感じることができた。

この本に表される豊かな表現は、アダルトチルドレンが自分の置かれた環境を遠くから見つめる道しるべとなるかもしれない。

作者を取り囲む機能不全の家族

父はどなり、母は「おまえのせいや」とののしり、姉は「あんたなんかいなければいい」という一家に囲まれた心良ちゃん。
どんな世界も、一番弱いところに、負の感情は注がれる。身体も弱く、一番幼く、自閉症というハンディを負った彼女に手を差し伸べる親族はいない。
祖母でさえも、姉を贔屓し、心良ちゃんを無視する。

そんな逆境下、なんども壊れそうになりながら必死で耐えて生きた彼女に敬服する。

Amazonレビューに反して私はなんとも思わなかった

読めば読むほど、不器用な生き方しかできない彼女は辛い思いをしたのだろうな~、と思うと同時に、自分も似た経験をしたような気がした。
親の存在を記した箇所は、自身と重なるところであり、父母が幼く愛を求めてるところなんてそっくり。これはすべての機能不全家族に当てはまることではないだろうか。

彼女は本当に自閉症なのか?と疑いたくなるほど、客観的に分析された家族一人一人の心の内に、こちらは深くうなずかされる。

この家の人間の『愛』は、全員が、自分自身に向かっているのだ。そして他の者に対しては俺を満たせ、私を満たせと叫んでいる。与えるのではなく、与えられるのを待っている。彼らが望むがままの愛情を与えてくれる者にこそ、彼らが歓迎する存在で、彼らが望む愛情表現を拒否したものは排除されるのだ。
(中略)
彼らの中に、他者に対しての愛がないわけではない。ただ他者への愛より、自分への愛の方が圧倒的に強いのだ。自分を差し置いて他者が愛され幸せになるのが許せず、ずっと足を引っ張り合っている。
(中略)
自分本位な愛でしかないからこそ、私は信頼できずにここまで来たのだ。

機能不全家族に生まれた子どものうち、どれほどの割合が家族を信頼しているのだろうか。
少なくとも私は、「家族」というのはしんどい時には頼ってはならない、と骨身に染みてる。そして「家族」にかわいがられるには、魂を悪魔に売らなきゃならないことも。「家族団らん」の場に、私の意見は要らない。要るのは親を後方支援する意見のみ。

ー生きるためには、自分を殺せー
私が家族から習ったこと。

でも、そこに悲壮感はない。
親から独立できれば、親を捨てることも出来るからだ。生きて行くのに欠かせない存在ではなく、切って捨ててしまってもなんら問題ないところまでいけば、こっちのもの。もう迎合する必要は無い。

それでも親を完全に捨ててしまうこともできずに、30代は苦しんだ。頑張って近づいては傷つきを繰り返す中で、もう一人の自分と「本当に親が必要なのか」を相談して、孤独とか自立とかそういうのの本質が見えてきたときに、やっと親を求める心が薄らいでいった。そして代わりに自分がどう生きるべきか、考え始めた。

だからこの本の思春期 篇の最後に出てくる様々な考えは、これから先、作者の光となる気がして、そこまで暗い気持ちにはならなかった。
不幸は不幸だと思うから不幸なのであって、思考という名の味方を手に入れればなんとでも解釈を変えることができる。

自閉症の見方が変わった

一つのことにしか集中できない特徴を持つ自閉症は、マルチタスク脳を持つ健常者からは、奇異に映ることもあるだろう。しかし、その仕組みさえ分かっていれば、そこまでめちゃくちゃ理解できない、ということもない。彼らには彼らのルールがあって、そのルールブックを見ながらであれば、しごく普通の反応をしているに過ぎない。

むしろ健常者の方が、見えてるようで見えてないことも多い。
著者が気づいた思考はわずか15歳の少女が持つとは思えないほどの奥行きを持ち、40過ぎた私がやっとたどり着いたものも数多く含む。ということは、それだけ引いた目線で世界を見渡すことのできる客観力を備えている、とも言える。その領域にたどり着くのは、健常者でさえもかなり難しいことではないだろうか。

この本から学んだこと

自分との差がある相手ほど、理解できずに排除したくなるのは、人間の悲しい性。けれど性に身を任せていては、自分のコピーしか受け入れられない。
ものを食べるだけ、服を着るだけ、ちょっと触られるだけで、強烈な不快感を感じる自閉症のことなど未来永劫分からないだろう。

でも、彼らはいる。そこにいる。泣いてちゃんと知らせてくる。うまく言い表す手段はもたないけれど、身体でしゃべってる。
それを受け取らなくて、どうする? 自分の常識や当たり前に当てはめてどうする? そんなことどれだけやっても、不快なものは不快だし、出来ないものはできない。
変わらないものを、暴力は罵声でなんとかしようとするより、出来るものを増やして出来ない分を補った方がずっと幸せではないか?

彼女の美しい文章を前に、出来る事を伸ばす大切さを教えられた。出来ないことがたくさんあっても、出来ることもたくさんある。出来ない自分を責めるのを止めよう。そう、この本は思わせてくれる。