人としてどうなの?と思う親の言葉

「尊敬する人は親です。」と答える人々を見て、”すごいなー、私は到底そう思えない”といつも心で思っていた。

どんな親かはこのブログでもさんざん述べているので、割愛する。
今日は親が放った「この発言どうなの?」を思い出したので、記録のために書いておこう。

私が大学生の頃に阪神淡路大震災があった。

神戸大学近くの建物も倒壊したり、火災にあったりで、大きな被害が出た。
震災のあった年の暮れ、実家に戻った私に「神戸大学落ちてよかったねー。もし受かっていたら、震災で死んでいたかもしれない。よかったよかった。」と親が言った。

一瞬「?」と思ったけど、なにも言い返さなかった。
”あー、この人にとって自分が被災しなければどうでもいいんだ。そして娘が受験で不合格だったことで傷ついた過去さえも、どうでもいいんだ”と思った。
親にとって全てのことは、自分の不利益でなければ、無関心ということだ。

[愛の反対は無関心]
マザーテレサの言葉どおり。
こんな親をどう尊敬しろと?という感じである。

あいつらはいつも自分のことしか考えていない。
周りが傷ついても、それは周りのせいなのだそうな。
彼らは人というより鬼か。

人間というのはもっと人の心を思いやれる優しい生命なのだと思うけどな。