現代人の側には意外と喪黒福造がいるのかもしれない

笑ゥせぇるすまんというアニメをご存じだろうか?
藤子不二雄Ⓐのブラックユーモアマンガだ。
喪黒福造というセールスマンが現代人の願いを叶えてやるが、その際に課した約束ごとを破ると、とんでもない未来が待っている、というストーリである。

子どもの頃、怖い物見たさで夢中になった。
最近新たに放送が始まったこともあり、話題となっている。

さて、このいそうでいないセールスマン喪黒。
実は現代人のすぐ側にいた。一体どこに居たのかというと…

あなたの周りの喪黒福造

東洋経済オンラインに
「スマホの使用を制限する親」が懸念する事態ースマホやネットに中毒性はあるのか
という記事が挙がった。

スウェーデンのソフトウエア企業が開発した「マインクラフト」というゲームは、世界に一億人以上の登録ユーザーを持つ人気のゲームで、ある医師によると中毒性が高いらしい。
人々を飽きさせないために、脳の報酬制度が用いられているためだ。
報酬制度とは簡単に言うと、ランダムに報酬が得られる仕組みで、報酬が得られなければ「次こそは」という気持ちに、報酬が得られると「次も」という気持ちが湧いてきて、終わりなき状態に陥るように出来ている仕組みのこと。

その制度が元で教育現場ではこんなことまで起きているらしい。

生徒たちがある本をiPadで読んでいるとき、生徒の1人がこっそりとマインクラフトにアプリを切り替えて遊んでいたことがあった。

読書後、教師がiPadをしまうように伝えると、その男子生徒は「しまいたくない!」と叫んだそうだ。「その教師によると、『タブレットをしまうように生徒たちにいうと、いつも2人の生徒が困惑し、反抗する。驚くのは私がしまうように言ったときの彼らの怒り方で、1人は毎回のように憤怒する』という」(カルダラス氏)。

まるで
「喪黒が生徒に近づき『毎日が平凡でツマラナイでしょう。そんな貴方にワクワクするゲームを差し上げます。ただし、ゲームは一日1時間までですよ』と優しく語りかけてゲームを渡したところ、生徒は最初の一週間は約束を守ったものの次第に「もっとやりたい」気持ちが勝ってしまい、約束を破ったことを喪黒に咎められて「ドーン」され、ゲームに没頭のあまり感情のコントロールをなくすほど我を失って、身を滅ぼす。」
というストーリーの様ではないか。

喪黒は実在しなくても、タブレットやスマホといった機械が身近にあること自体、喪黒の役割をしている。

喪黒が教えてくれること

人々はゲームがしたいという欲だけでなく、いろんな欲を持っている。
きれいになりたい、嫌なことを忘れたい、金持ちになりたい、有名になりたい。

それを手にするには犠牲が伴う。

喪黒が課す約束は、「その犠牲をちゃんと払いなさいよ、どんなときも!!」 というものである。
手にするものと犠牲を払うもののバランスが取れていれば、あくまで手綱は自分の手中にある。それが犠牲は払わない方へ傾くと、途端に「依存」に堕ちる。

たぶん「自分を生きる」とは、依存に飲み込まれないようどれだけ踏ん張れるか試されてる事だと思う。ともすれば楽な方、行きやすい方へ行きたがる自分を、「ちょっと待てよ、それでいいんか!」と呼び止めることができるかどうか、を(神様? 喪黒? に)見られている。
そのとき「まっ、いっか」と流されたり「○○のせい」と責任をなりつけたりすれば、マンガ同様ろくでもない未来になるだろう。

皆さんの周りにも、自分を生きず、何かに依存して、最後目も当てられぬ悲惨なことになった人が一人や二人いるのではないだろうか。
婚活地獄に突入する人、リストラされて再就職が決まらずひきこもる人、仕事一筋で定年後気力が抜けて何も出来なくなった人、家族をないがしろにして熟年離婚し孤独死する人。そういう人は喪黒に魅入られた人たちだ。

マンガなら「面白いね」で終わるけど現実はそうもいかない。
日本国憲法第25条が人間らしく生きる権利を保障しているが、それは喪黒から卒業してこそ。12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とある。

人生の手綱をたぐりよせることなくして、人間らしい生活は保障できないのである、と喪黒は教えてくれている気がする。