なぜ私の周りには敵が多く、あの子の周りには味方が多いのか?

私はいっつも周りから責められて、叩かれてばかり。それに比べてあの子の周りはいつも賑やかで楽しそう。なんで私はそうならないの…、としょげてはいないだろうか。

何を隠そう私も高校生のとき、そのことで深く悩んだ。

あの子が美人だから? 金持ちでいろいろと目新しいものを持っているから? さんざん考えたけれど分からなかった。それからうん十年経って、ちょっとずつ分かってきたことがある。
もし、まだ悩んでいる人がいたら、参考になるかもしれない。

「与える」力が勝ると人が集まる

私たちは無意識に、何かを「与え」「与えられて」いる。
多くはお願い事で、ときに気づかいも入る。たとえば「ノート見せて」がお願いで、「帰りに(家族の食べる)焼き鳥を買ってこ」が気づかい。こんな何気ないことを繰り返して、交わりあっている。
そしてなかには、意識しなくても「与え」てるものもある。それが美貌だったり、いい香りだったり。だから相対的に美人は努力しなくても「与え」ている分が多くなる。

しかし不美人だから「与え」ていないか、というとそうではない。人のお願い事を率先して叶えてあげたり、協力的な姿勢を示したりすることで、十分「与え」ている人もいる。ただしそれはあくまで「与え」ることに的を絞った場合。

「与え」たのにそっぽ向かれる人は、腹の底で「これをやっておけば私の方を向いてくれるよね」という算段が働いている。つまり自分の利益を見据えて、それっぽく振る舞っているだけなので、「与え」たことにはなっていない。

ちゃんと「与える」が出来る人、意識せずとも出来る人、そういうところに人が集まってくる。

自分を殺すことは「与える」ことではない

では、いつも人のお願いにYESといい、自分を後回しにすれば、「与える」ことになるのか? といえば、そうでもない。むしろ自分を押し殺している様子が人を不快にさせる。
「与える」ことは、犠牲を払うことではない。

そういうと、「だってお願いを叶えることが、『与える』ことだって言ったじゃん」と反論が返ってくる。確かにそうだ。ただニュアンスが違う。叶えるのは、お願いそのものではなくお願いの真意。
誰かが口にした「あれしたい」を実現することは、相手を甘やかして考える機会を奪っている行為。

あなたに多大な犠牲を払わせて相手が得するような事態を受け入れることは、全然「与え」てなんかいない。だからあなたが「自分を犠牲にしている」と感じた時点で、「与える」行為から外れている。

「与える」ために何をする?

では、「与える」ために、つまりお願いの真意を叶えるために、何をするのか。
真意のくみ取りと真意の承認をする。

「あれしたい」はどういう意味なのか? ○○ちゃんが先にあれをして羨ましい、なのか、あれを体験することで好奇心が満たされそう、なのか。そこに込められた思いは人それぞれ。そこを丁寧にすくい上げていく。
その上で、「そっか、○○ちゃんがやってたら、やりたくなっちゃうよね。」や、「あれが出来たら、ワクワクできそうだね」と「あなたの気持ちを共有しましたよ」という合図を送る。すると、全然あれはやってないのに、相手の気持ちが落ち着く。
それは「あれしたい」という願いの行き先がちゃんと決まったから。
この行き先をつくってやることが「与える」ことでもある。

もちろんその先に実現方法を考えるのもいい。「こうやってお金を貯めて、こうやって時間を作っていったらできるよね」と計画すると、落ち着いた気持ちに喜びが加わることだろう。ただそれはおまけであって、本筋ではない。

ここでは「与える」ためには、気持ちの共有が欠かせないと記憶に刻んで欲しい。

「与える」が多ければ、味方が増える。では「与える」がなければ?

気持ちの共有ができるようになると、こんどは相手からこちらの気持ちも共有したい、というそぶりを見せられる。自然とこちらの意図を読んでくれるようになり、なんなら私が考えるよりも前に行動してくれたりする。それは傍から見て「あの人には味方が多いなぁ」と映ることだろう。

その味方は自然発生的に生まれたのではなく、その前に気持ちの共有という手順がちゃんと踏まれている。それが他から見えにくいがために、あの子の周りには味方が多い理由が分かりにくいだけ。

翻って敵に囲まれている人は、「与えられる」ばかり求めている。犠牲を払ってまでも相手にひれ伏し、腹の底では「これだけ犠牲を払ってるんだから、私を好きになれよ」と呪っている。基本的には自分を通したいので表面上従順を装っているが、ところどころ「でも」と否定が入る。

自分が「与え」てもらってないのに、人に「与えつづける」のが許せないのだ。そこで隙あらば「私」をねじ込もうとする。その強引な行動の起点が「でも」。

その言葉を言うと、相手を緊張させる。「でも」とは従順さをひっくり返して反撃しますよという意味。相手はこの言葉を聞いた途端さっと身構えて、攻撃に備える。かくしてこちらの意見がどれだけ正しかろうと、相手は拒絶する、という構図が出来上がる。

だから周りは敵ばかり、となるのである。