全部もっているのに妻になれなかった人

私の知人(女性)の話です。
彼女には、学生時代から付き合っている格好良くて背の高い高学歴の彼氏がいました。

彼は日本で1.2を争う大学の院を卒業し、めでたく大手メーカーに就職しました。
彼女も我が事のように喜び、結婚への夢を膨らませたのでした。

その就職から2年が経ち、彼が重要な役割を任されるようになった頃、激務がたたってうつ病を発症しました。
そのとき彼が取った行動は…

全てがセオリー通りとはいかない

会社にいくこともできず家にこもりきりなのか、と思いきや、彼女と暮らしていた部屋を出て、なんと水商売の女の人の所へ行ってしまいました。

あっけにとられたのは彼女の方。
「えっ?支えてきたし、『働かなくたっていいよ』って言ってきたし、私の方が彼をよく知ってる!」と。

でも彼の選択は彼女ではなく、水商売の人。
付き合ってるから、長く一緒にいるから、優しくしてるから、といったセオリーは通じなかったのです。

彼は水商売の人に何を求めたのか

知人は容姿も学歴もキャリアもあります。連れて歩いて恥ずかしくないし、多くの男性からモテます。
でも、彼はそれを蹴った。
学歴やキャリアとは無縁の人を選んだ。

それはつまりそれらが重荷だったということです。
ー賢いんだからこれくらい出来るよね、もう2年も働いてるんだから現場を仕切れるよねーそういったプレッシャーに押しつぶされた結果、病気になったのです。
プレッシャーのない世界を求めたら、元いた世界と無縁な人々がいるところだった。
そこでは、ただ息してるだけでOKというゆるさがあった。

彼にはそこが唯一の息抜きできる場所だったのでしょう。自分が自分らしく居られる。
疲れた心を癒やすのは、何も求められることのない世界。

求められないことこそが、彼が求めていたものなのです。

優秀な人が陥る罠

優秀な人は、優れた成果を出し続けられるから、優秀なのです。
その裏には、「今日はこれをしよう。明日はこれ。」という段取り力や、「やるぞ!」という気力に満ちあふれている。

元気なときは相手のそれがいい刺激となります。
でも、自分が弱くなってしまったら?
相手の気力を目に痛く感じ、「自分はなにもできないダメ人間だ」という考えに押されて、気持ちが追い詰められてしまいます。

同じ気力でも自分のコンディションが違えば、良きにも悪きにもなる。
優秀な人は、そのことを知りません。

ひたすら己を磨き、前に前に進むことこそが正しいと信じてはばからないのです。

家庭の中は癒やしの空間であって欲しい、ということ

同じぐらい優秀な人と暮らすことが、ストレスなく日常を送る条件だ、と思う人は少なくありません。
確かに教養に差があれば、単語の説明から入らなくてはいけない。面倒です。

しかし、極端に優秀さに差がありなんでも頷いてくれる人といることが、ストレスのなく日常を送る条件だ、と思う人もいます。
教養の差による面倒さより、言い分が通る方を優先したい。

これはどちらが正解というわけでもありません。
ただ私が思うのは、人はいつも強いばかりじゃない、ときに弱くへたってしまって、逃げたい、隠れたいという気持ちに支配されることだってある。そんなときのセーフティ網として、家庭は存在するんじゃないか、ということ。

つまりアグレッシブな自分もパッシブな自分も両方が居ていいところが家庭。
会社ではアグレッシブさが求められるから、家庭ではパッシブな自分も出せる方が望ましい。

結婚したいなら、自分の弱さを出せるようになること

強さは誰でも出せます。世間は冷たいので、それに対抗するように自己防衛するのは当たり前なのです。
反対に弱さは誰にでも出せるわけじゃない。出したら最後つけいられる・利用されるという恐怖が襲ってきます。

その恐怖が立ちはだかることで弱い自分を隠してしまうと、相手を気楽にさせられません。
強い自分 VS 強い相手 といった緊張感溢れる付き合いになってしまうのです。

ここまで書けば、なんとなくでも結婚に必要なことをお分かりいただけたと思います。

知人が妻になれなかったのは、これに気づけなかったからです。いくら「働かなくていいよ」と口にしていても、自己鍛錬は大事、ダラダラしてるのはよくない、というオーラが出てしまっていた。だから彼は「とりあえず一緒にいればOK」の女の元へ走ったのです。

これが長期的に見てよい結果を生むかは検討の余地ありですが、とりあえずうつ症状を悪化させないという意味では正解でしょう。

知人は愚痴ってました。
「私のなにがいけないの?」と。
そうやって犯人捜しするから、彼は居なくなったのです。誰かに責任があるという優秀な人の考えを持ってる時点で、彼が知人の元を去って行くことは決定だったのです。
ゆるさ、って大切なんですね。