相手が来ることを「来てくれる」と勘違い

いつもお声のかからない人は、誰かから「そっちへ行きたい」とリクエストされると、「やっと、自分を必要としてくれる人が現れた」と大喜びする。

そして決まった心理状態に陥る。
相手は自分に会いに来てくれるのだ、と。

でもそれって論理的におかしくないか?
「来てくれる」というのは、こちらが要望して、それに相手が応えたときに使うもの。

要望なんていつ出したんだろう?

セルフイメージの低さがもたらす害

セルフイメージが低いと、「自分は人に何かできる」と思えないので、「人に何かをしてもらう」側に回る。それゆえ「いつもしてもらって悪いねぇ~」という態度が出る。

ひねくれたその態度が、相手の「単に会いたかった」という気持ちをそいでしまう。
これでは「会いたかった」気持ちも「会えてうれしい」気持ちも台無し。

セルフイメージの低さは、双方の素直な気持ち、を、素直じゃなくしてしまう、という弊害をもたらす。

傲慢な人が相手だと事態は悪化する

そして相手が悪かった場合、さらなる事態の悪化を招く。

傲慢な人は、「してもらって悪いねぇ~」と思っている人間を【利用】しようとする。費用や手間をこちらに押し付けて、「来てやったんだ!」という態度を取る。それでもこちらは、施されている意識が強いため、反抗できない。するとますますつけあがる。

そういうケースはよくある。ネットの掲示板に、遠方の知人・友人が接触して来て、こんなふうに利用されてムカムカするといった悩みを数多く見かける。意外と悩んでいる人は多いのだろう。

かくいう私もその一人だった。相手に東京に出張するから寄りたいと言われ、しぶしぶ了承したが、休日遊びに行くところを探したり、ご飯を作ってあげたり、とまるでこちらが来て欲しがったかのような歓迎をした。
その対価として?のお土産はクッキー3枚。
後で考えたら、腹立たしいこと腹立たしいこと。

もっと早く「来たかったのは相手」と認識できればよかった。

論理が効くのは心が鍛えられてから

その認識さえも抱かせないほど強力な「施されてる」という意識。
それから距離を置くには、「自分の存在は相手に求められてナンボ」という考えを棄てることから。

たとえ一人になっても、「私は私が認める」と強く思えるようになること。

思えるようになって初めて論理が活きてくる。

いろいろと心を鍛える本が出ているので、本屋や図書館で、「自己肯定感」「セルフイメージ(セルフエスティーム)」というキーワードで探してみるといいと思う。
このブログの「本」カテゴリーも参考になるかもしれない。
本を読んでも難しいと思う方は、カウンセリングも選択肢の一つだと思ってほしい。