ナルシストが自分を受け入れてくためには

ナルシストと聞くと、他人を寄せ付けない、自分だけの尺度でいいと思ったことをストイックにやりつづける人を想像する。

ギリシャの神話に登場する美少年ナルキッソスが水面に映る自らの姿に恋をしたということに由来するらしい。

確かにナルシストと呼ばれる人は、街を歩けば窓ガラスに映る自分にうっとりし、風が吹けば必死に髪型を直そうとする。いつも自分を見つめ、完璧な自分をキープし続ける。

そういう態度をひと言で表すなら、「美なきものは遮断する排他主義」だ。

これが人の目には、拒絶に映る。独りよがりに見える。だからナルシストは嫌われるし、嘲笑の対象となる。

あまり幸せそうな生き方じゃない。ではナルシストを辞める方法があるとしたら、どんなのだろう? 

ナルシストを辞めるには?

とっかかりとして、「我」への見方を変えていく。我が美しいから我を愛すのではなく、我の醜いところを認めていく。欠点があるなら、隠すのではなく活かす。

そうするとなぜか周りの目にかわいらしく映る。

たとえばデカ顔だったとして、必死に髪で覆うんじゃなく、それはそれでよく見えるよう美容師さんに相談した上で、「大きな顔は売りポイントだ」と解釈してみる。初対面の人に一発で覚えてもらえるとか、集合写真でもすぐ見つけられるとか。

売りポイントはなにも万人が「それは長所だよね」と思わなくていい。ただ自らの見方として、自分にはこういう特徴があるんだと明るく受け止められたとき、明るく受け止められるまでに経てきた紆余曲折が伝わって、その人にいじらしさを感じる。
場合によっては明るく話す様に、聞かされた側もつられて、なんかそれいいかも!と思えてくることがあるのだから不思議なものだ。

こうなると、排他主義はなりを潜め、代わりに「これもありじゃない?」という許容が前面にあるので、周りの人を安心させられる。

ナルシストの先にあるもの

この世の中にパーフェクトな人など一人も居ない。だから欠点をいいよ、と受け止めてくれる相手の元へ、人はかけよりたくなる。

考えてみて欲しい。若く美しくいられるのはいつまでか。

美しく欠点のない時期など、人生のごくわずかだ。どんな人も等しく老いていく。
シミ・シワが出来た自分にたいして「このブサイクヤロウ」と声を掛けるようであっていいんだろうか。人生、終わったと絶望していいんだろうか。

豊かさというのは、人の輪の中にいて、自分が相手を受け止め・受け止められていると感じられるときにこそ発揮される。ナルシストをやめて、本当の自分を受け入れられるようになったとき、必然的にかわいらしさが増し、周りを安心させられるようになる。

そういう豊かさこそ、真の幸福と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。だからこそ、今自分が美しくても美しくなくても、こういう自分もありなんだ、と、優しい心で我が欠点に向き合っていって欲しい。