「自分を好きになって!」とか全然分からなくていいし

周囲と上手くいかない、人間関係を築けない、そんな自分が大嫌い、という人に向かって、「まずは、自分を好きになって!」とアドバイスする人がいます。

もし「自分を好きに」なれるなら、こんな悩みなど抱きはしないし、もっと楽々と生きてこられた。出来ないから悩んでるのよ…。

結局、好きになるとかって、結果なんです。好きになれない経験を積み重ねたから、自分を嫌いなのであって、それを一切合切無視して、強引に「好き」と思い込むのは、かなり無理があるのではないでしょうか?

もっと自然に自分が変わるにはどうしたらいいのでしょうか?

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自分を否定しないところから

件のアドバイスを受けたとき、どう思いましたか。

あー自分を好きになれないワタシってホントダメ人間、って思いませんでした? それ、当たり前の反応ですから。100人いたら100人とも、心の中で「そんなの無理。ぜんぜんイメージできないし、どうやったらいいか思いつかない」って思うでしょう。

いいんです。「わからん」で。わからん自分をわからんままにしときましょう。わからん、という自分を、そーなんだって遠くから見つめる。おだてるでもなく、けなすでもなく、ただ見る。

それが等身大の自分です。その自分を見つめる自分もまた自分です。この二つが矛盾なく存在できることにこそ、意味があります。私が私を否定する原因は、等身大の自分を、見つめる自分が叩くことにあるのですから。

別にいーじゃないですか。出来んもんは、出来んのです。できなくて何が悪いんでしょう。

生きるのに必要なスキル

この開き直りにも似た「いーじゃないですか精神」。もし、手に入ったとしたら、身体はどんな風に反応するでしょう?
手は、足は、冷たい、温かい、変わらず?

思うに、少なくとも冷たくはならないはずです。なぜなら、私を叩く自分がどっかへ行ってしまったから。自分を叩く相手がいないってことは、めちゃくちゃ貴重なことなんです。ずっとあなたを苦しめてたヤツといっときはバイバイできたんですよ。

考えの矛先を変えるだけで、あなたは要らんヤツを遠くへ追いやることが出来ました。なかなかやるではないですか。実は生きていく上で、目を見はるようなスーパースキルとかは要らんのです。要るのは、自分を叩いてくるやつをどうにかするスキルだけ。

でもこれがないと、買い物とかギャンブルにおぼれたり、人に八つ当たりしたり、自分を過小評価しておとしめたりしてしまう。なんていうことのないスキルだけど、人生を安定させるためには必要不可欠なのです。

そのアドバイス、本当に意味ある?

アドバイスされた方が、「そんなの無理」って思うアドバイスってどうなんでしょう。意味のある言葉というのは、劣等感や疎外感を抱かせたりはしません。「あっ、そうやったらいいんだ!」という道しるべになってくれる

結局アドバイスもどきは、他者が思いついたことを好き勝手言った結果に過ぎません。相手にとって、あなたの人生など、どうでもいいのです。それよりアドバイスできない自分の力不足や冷たさが露呈することの方が怖い。だから、っぽいことを口にした。

そんな保身まみれのアドバイスなんて、聞くほどでもない。

だからといって、あなたにアドバイスを止める権利もありません。あるのは、そのアドバイスを取り入れるか入れないかを選択すること。だから、聞いた先は自分の意思で決めましょう。

せっかくもらったアドバイスだからと、ありがたがらなくていいのですよ。あなたが感じたままに、受け取るもよし、受けとらないもよし、です。

そういう自然体が身についたとき、やっと自分のことが好きになり始めるのです。