もし付き合うなら、竹を割ったような性格の人がいい?ウジウジした性格の人がいい?
そんなの前者がいいに決まっていますよね。けれど、「私ってサバサバしてるって言われるの!」といいながらネチネチといつまでも嫌味を言ったり、付き合い初めはあっさりしていたのに距離が狭まったら意外と干渉が激しかったり。なかなかホンモノの竹を割ったような人って見つからないです。
今日はそんな「もどき」に騙されないよう、見分け方についてお話します。
丁寧な言葉を使う人の本音
妙に丁寧な言葉を使う人っていませんか。
たとえば「~してくださって」みたいなの。これ、めっちゃへりくだってるようにみえて、結構ヤバ目の言葉です。
謙虚そうな人物に見えるでしょ?けど裏ではものすごくワガママだったりします。基本的に相手から「していただいたんだ~」と思ってるってことは、つねに自分を下に下に置いてる。でもね、人間そういつも下にはいられないんですよ。たまには誰かに認めてもらって、浮上したい。
ところがへりくだってる人って、周りからしたらそういうキャラなのかな、とか思われてるので、イチイチ浮上するために手なんか貸してくれないんです。
と、どうなるか。どこかで「なんで、私は大切にされないのよ!」って爆発する。こうなると駄々っ子みたいに手が付けられません。ビービー泣いて、構ってちゃんに大変身。
こんなの自立とはほど遠いですね。
なのでいいですか、覚えておいてください。へりくだる言葉を使う奴は構ってちゃんのウジウジタイプと。
偉そうな言葉を使う人の本音
偉そうな言葉を使う人っていませんか。
たとえば「~してやった」みたいなの。これ、強気にみえて、そうでもないんです。
ふんぞり返って横柄な人物に見えて、内心ものすごーく怯えてて弱気なんです。基本的に「してやったんだ~」と思ってるってことは、つねに自分は上なんだぞ、ってえばってる。でもね、もし本当に上にいるなら、わざわざ虚勢など張らんもでもいいんです。虚勢を張ること自体、「こうでもして恩を売っておかないと認めてもらえない」と思ってる証拠。
もちろん周りも心得てて、表面上「ありがとうございます」、「あなたのおかげ」なんて言ってみたりするわけですが、内心「そっちから要求すること?」とバカにします。
偉くなりたい自分と、バカにされてる自分、いつまで経っても一致しないので余計態度がデカくなります。そしてもっともっと「俺は偉いんだ!」ってえばりちらして、クソガキへと大変身。
到底自立しているとは言えません。
なので、覚えておいてください。恩着せがましい言葉を使う奴は偉くなりたくて仕方ないウジウジタイプと。
竹を割ったような性格の人が使う言葉
では、竹を割ったようにスパっとした性格の人はどんな言葉を使うのでしょう。
お分かりですね。へりくだるでもなくふんぞり返るでもなく、事実を客観的に表す言葉を使う。つまり「○○が△△した」。相手が主語ならAさんが[動詞]をした。自分が主語なら私が[動詞]した。
これなら文字数が少なくて済むし、端的で伝わりやすい。
なんの飾りもなく、なんの感情も上乗せされない事実を淡々と語る様は、人を寄せ付けない強ささえ感じさせます。この独立した感じこそが、何人にも踏み込まれない自立した状態です。
ですから、強くて近づけそうにない人が竹を割ったタイプです。へんにツルだり、距離を縮めたりするのには適しません。けれど、一緒にいて疲れないし、こちらが助けを求めたらきちんと対処してきます。
そっけないことはリスク管理
誰かと出かけたり、支えあったりを望む人にとって、竹を割ったような性格の人はひどくそっけなく見えることでしょう。では、誰かとべったり一緒にいることはいいんでしょうか。
ずっと一緒にいたら、どんなことが起きるんでしょう?
衝突です。私の考えとあなたの意見に違いが生じた場合、「離れる」選択がされませんから、ぶつかるしかなくなる。そしてどちらかが折れる。折れた方には不満がたまります。
そしてもうこれ以上不満がためきれないところまでいくと、絶縁へと向かいます。結局、あんなに仲の良かったのがウソのように消えてなくなってしまう。近すぎるということは、それだけハイリスクなんです。
賢い人はそれを心得ていて、最初から近づかない。だからそっけなく映るんです。けどこれって単なるリスク管理ですよ。
心通じる友はできる?
たぶんこの文章を読んでいる人は、心から通じる友達を欲しがっていて、相手がさっぱりした人物だったらな~とか考えていると思います。けれど竹を割ったような性格の人はツルんだりしませんし、かといってウジウジタイプとはいずれ絶縁します。
結局の所、人は孤独で、一人で生きるしかないんです。どんな相手もいっとき同じ目標の下、一緒にいるかもしれませんが、それはあくまで目標達成のため。割り切った関係です。誰もあなたの友達になってはくれません。
そのつもりで生きてると、誰にも寄りかからない爽快さがウケて、そこそこつながっていられる友達ができると思います。
友達は求めると手に入らず、求めないと手に入る不思議な存在なのです。