学ぶとは本来楽しいこと

赤ちゃんの時は、見るもの・触るもの 全てが初めての体験で、目をキラキラ
させながら、遊ぶ。
赤ちゃんには危険なものも含めて「あれは触っちゃダメ」とか「これを触ることは
よくないこと」という概念がない。
だから本当に好き勝手する。

成長するに従って「道路に飛び出しちゃダメ」「人の物を取ってはダメ」「汚いものを
食べてはダメ」と学習し、自ら危険な行為を回避するようになる。

躾とは本来、その子がルールを持つ社会のなかで自由に生きるために最低限
必要な知識を教えること。
だから、全てのことをダメダメでがんじがらめにすることとは別だ。
しかし、下手に知識を持った大人は思いこみでダメと思うことまで、子供に
躾けようとする。当の大人はよく考えないで躾けるから、子供に「何で?」と
言われると言葉に詰まる。

子供は幼いながらがんじがらめの躾環境に息苦しさを感じる。
心のどこかで、「大人が言っていることは本当か?」「大人が言うとおりにする
と楽しくない・・・(だって子供を否定することばかり言うから)」と思うようになる。
そして、ある年代になった子供たちは学校に通う。

学校に通う子供達の一番の仕事は「勉強すること」だと思っている大人が多い
ため「宿題したの?」「勉強しなさい」とダメダメ躾と同様に口うるさく言う。
そのとき子供が受け取るメッセージは「なんか息苦しい。楽しくない」になる。

赤ちゃんの時は、あんなに澄んだ目をして、全てのことを全身で吸収できた
のに、学習という未知なる世界はどうしてこうも子供の目を濁らせてしまうのか?
数字を知ること・言葉を知ること・自然を観察すること は全部遊びなのに。

親がダメダメ躾をすればするほど、子供の学習意欲は落ちていく。
学ぶことより強制されていることが前面に出てくるから。

自主的に学ぶ姿勢を身につければ、どんな逆境だって乗り切る力が身につく。
反対にいやいやながら学ぶ消極的姿勢を身につければ、逆境に負けて敗者となる。
親は子に本当の意味で生きて欲しいと願うなら、ダメ躾は必要最低限にして、本人
の持つ力を十分に観察し、育ててやって欲しいと思う。

世の中で活躍している人は、勉強ができた人ではなく、自分の力を信じて、自分の
楽しいと思うことを追求した人たちなのだから。