性格が大人しいは基質?

私は小学生の時、”コイツ大丈夫か?”と思われるほど、大人しかった。
みんなが「ハイ、ハイ!」と手を挙げていても、一人でモジモジ。
全然主張ができない子だった。

学級会で「意見のある子いませんか?」と学級委員が言うのを聞きながら、「意見

なんて、そもそも持ったことがない」と思う子供だった。
「将来の夢は何ですか?」という問いに、「んなもん、ねえよ」と思っていた。

つまり一番元気で、自由なはずの幼少期に、ひたすら押し黙り、存在を消し、
心のエネルギーが不足した状態だった。
小さい頃なので、親がどのように教育をしたか、記憶が定かではないが、おそらく
”失敗こそ悪”という教え方であったと思う。
故に、私が幼稚園の年少さんの時、ブランコの飛び降りをしたくても、心のブレー
キ(ケガしたらいけない)が邪魔をして、おもいっきりチャレンジすることが出来なかった。

兎に角、ケガをしながら、間違いながら、正しい方向に気付くという体験をことごとく
してこなかった。
おかげで、体験の不足した頭でっかちの子になり、失敗する事への恐怖を人の
何倍も抱え、「ハイ、ハイ!」と手を挙げ発言することさえも出来ない子になって
しまった。

親の教育とは、これほどまでに子の性格形成に多大なる影響をもたらす。

ちなみに、同じ教育を受けた弟は、私と反対で我が強く、自分勝手な振る舞いを
する子だった。
同じ”失敗することが悪”の教育を受けたとしても、順方向に行けば、<大人しい>
逆方向に行けば、<自分勝手>に転ぶらしい。

私は今でも、身についた<大人しい>性格に閉口するときがある。
びしっと意見を言えなかったが為に、ストレスを抱える。
もっと自由に物が言えたらいいのに と思っている。
言えないストレスを文章に変えて、このブログに書いている。

言葉はタイミングだ。
後から言ったとしても、その効果は半減。
やっぱり、その瞬間に放たなくては。

もっと最初から苦情を言うことができれば、あるときぷちっとキレて、相手を
こてんぱんにやっつけるなんて悲劇生まなくて済むのにねぇ。