第三者の判断

ちょっと言動が理解できないと、すぐに相手をアスペルガーと断定して、批難する。
それを別のアスペルガー当事者が見て、なんでもかんでもアスペかよと怒る。
そういうことって、よくあると思います。

確かに 言動が理解できない==即アスペ と判断するのは軽はずみでしょう。

けど、アスペルーガっぽい人から受ける攻撃に疲弊していればいるほど、逃げたい
自分を守りたい と思うのもまた、人間としての本能です。
どちらが悪いとは言えません。

そういうときに、専門家の判断はありがたいです。
当事者と利害関係がなく、医学的指標に沿って判断された結果なら、当事者にも理解
を得やすいでしょう。

心理的な側面を切り取ると、本人が主張することは、本人の心的現実においては
正しい。だから、アスペであろうとなかろうと、認められるべきものです。
ただし、現実問題に対処せねばならないとき、心的現実よりも、事実の方が優先
されます。

その事実に対する認識は、アスペルガーの人がやや弱い。
従って、アスペルガーと診断されることで、2人の人の言い分が異なったときに
どちらが確からしいかを判断する指標の一つとして、アスペルガーという診断が
出たか否かがそれなりに重要性を帯びてくるのです。

専門家の判断結果は、時として本人の意に反することもあります。
それでも、分からない怖いと逃げ回って判断を先延ばしにすればするほど、重篤な
状態に陥る。ガンと同じです。

当事者が二次障害、周囲がカサンドラ症候群に陥ってからよりも、もっと前に
診断を受けていれば、避けることのできる事態があります。
グレーで疑わしいけど、まぁいっかと避けている人こそ、自分を知るために
一度診断を受けてみられることをオススメします。

支援の輪がもっと拡がれば、積極的にアスペルガーの診断も受けられるのにね。