アスペルガーの配偶者の会の掲示板を読んでいて、旦那が黙ってしまうので
話しあいにならないといったお困り事をおっしゃっている人を見かけた。
少なくとも相手から言葉が出てこないのは、アスペだからではなく、当人は問われて
いることの内容が「分からない」「考えたことがない」からなのだ。
これは定型でも十分あり得ること。
私は配偶者と話をして、こんなにも違うのか!と思うことが多数ある。
・傷つくという感情が分からない。
・守るという概念が理解できない。
・心配するとはどういうことなのかわからない。
一般の感覚をもっている人からすると、ソレ本当に分からないの?と言いたくなること
ばかりだ。
しかし、これらの概念は体験したからこそ分かるものであって、そんな感情と無縁な
世界で生きざるを得なかった者は、感じることも理解することもできない。
人間が成長するに当たり、一通りの感情と経験をしていると思いこんでいるところが
感情を理解できる側の傲慢さだ。
よって、相手に分からないということを分かってもらうために、それこそ赤ちゃんに
”哀しい”を理解させるにはどうしたらいいか考えるくらいの真剣さで、取り組まねば
いつまで経っても相手は話の通じない人になってしまう。
ちなみに自分が相手に感情を教えるなんてできるんだろうか?
私はとても難しいと思う。
それもある程度脳の神経ネットワークができあがった大人だから、子供に理解
させるよりずっと難易度が高い。
こちらが頭を柔らかくしないと、相手に理解させるなんて、ムリだ。
相手の分からないを理解した上で、分かっている側が、かろうじて相手の分かっている
範囲を探り当て、その上に相手の新しい感情を導く。
そりゃー骨の折れる作業でっせ。
誰しもがある程度同じ経験を経ていれば、同じ感情をたった一言で共有すること
ができる。
恋愛は本来だいたい同じだろうの人を探しあてる作業。
しかし、人間は自分都合主義で、自分の実力は棚に上げ、相手に多くを求める。
自分が放った一言で私の心情を理解して!と相手に迫りたくなる。
迫られた相手は、こっちも理解して欲しいことがあるよ~と思っているので、欲望が
ガッチンコして収拾が付かなくなる。
仕方なく、私を理解してくれるレベルがもうちょっと下の人を選ぶ。
するとそんな相手に言葉を投げても理解されない。
何を言っても通じない、のれんに腕押し、-->相手といるときが一番孤独
なーんてことになり、別れてやっぱり一人に戻る。
誰かと生きるってことは、訳の分からん相手の「分からない部分」を理解する
ということ。
全然自分の言葉が通じてないことに気がついて、相手の心の中に入って
何がどこまで理解されて、どこからはさっぱり理解できないのか丁寧に分別
整理する。
そうやって初めて言葉の一部が通じる世界に足を踏み入れられるんですよ。
アスペルガーは定型にとって確かに理解できない感情の範囲が広い。
障害だからアスペルガーに改善を求めても意味はない。
でも、だからといって、アスペ==全部ワケワカラン と捉えていては、定型の
自分と感情が共有できない人に出会ったときにも同じ態度を取ることになるんですよ。
相手の「分からない」という考えを「分かる」自分でいるかどうかが、人間関係
の分かれ道だったりする気がします。