”でも”の破壊力

ずっと不思議に思っていた。
人同士が会話していて、途中までいい感じに共感しあえていたのに、「でも」が
出た瞬間に、今まで積み上げてきた信頼関係がガッシャーンと崩れるのを。

”でも” には、どんだけ破壊力があるんだ?

 

一般的に座る位置で、抱く心理が変わると言われている。
正面に座ると圧迫・緊張感が、90°もしくは真横に座ると安心感が出る。
ということは、心理的にも、そういう立ち位置があって、自分の意見を押しつけて
くるのが座る位置でいうと正面、共感するのが真横ではないかと思う。

途中までは、真横にいて、安心感を与えていたのに、”でも”と言った瞬間真正面に
席替えしているように思えてならない。

そもそも”でも”の後ろには、否定内容が続く。
否定内容とは、それまで共感していた内容と反対のこと、関連のないことだ。
なぜ、”でも”という言葉が出るかというと、発言者が相手は間違えていると思って
いるから。そして、治してあげるのがよいと決めつけているから。

私も、相手がめちゃくちゃ言っていると、「でも」「そうはいってもね」など言いたくなる。
そっちの方が、相手の話を聞き続けるより、心理的に楽だから。
自分の心に反する意見を受け入れられるほど、器が大きくないし、下手したら
自分の信念がゆがめられそうで恐い。だから慌てて相手の修正に入る。

つまり”でも”という人間ほど、弱くもろい。
”でも”を使った時点で、防御に入り、相手を排斥している。
横に座って辛抱強く聞く方が、何倍労力と根気を必要とするか。

私は、”でも”を減らして会話したい。
相手に気持ちよく話して欲しい。
そのために、寄り添って聴く重要性を理解し、相手にゆがめられるのではと懸念
してしまう己の頼りなさをすこしずつ鍛えていこうと思います。