カウンセリングで回復しなかったワケ

今日も暑いですねー。部屋の気温26度湿度75%デス。
気分だけでも涼やかにということで、つくばいを動かし始めました。
水の音が涼しげです。

さて、私はカウンセリングを受けていたとき、音声を録音していました。
その録音を久しぶりに聞いてみると、カウンセラーのひっぱりたい方向と当時の私
の心境にかなりの隔たりがあることに気がつきました。

話している内容は「親を恐いという感覚から抜ける方法について」です。

3才から英才教育を受けていた私は、当時流行っていたピアノを親に習うよう
し向けられました。
時には殴られることもあり、けっこう辛かったです。
ピアノを弾くのが嫌で嫌でたまらなかったにも関わらず、親に逆らうことが恐ろしく、
心を殺して練習に励みました。
その心を殺した感情が今でもトラウマになって、<親==私を押し込め苦しめるもの> 
という思いこみがとれません。

カウンセラーはまず、流行っている物に飛びつき、ピアノが何だかも分からないのに
娘に強制する親の愚かさを私に分からせようとしました。
でも、<親==神>である私には親を愚かだと思うことが出来ません。
次に30代の私が当時20代の母親の行動を見てどう思うか、考えるよう促しました。
それでも、私の中の親の絶対位置は動きません。
次に大人の私が3才の子供である私にやさしく声を掛けるところを想像するように
促しました。
私は人生を通して誰かに心を助けてもらった体験がないので、それもまた想像
できない、そして人を救うことを意識することは偽善なので、生活の中で人に
やさしくしていることがあっても、記憶に残っていない といいました。

カウンセラーがやっていることはリフレーミング(reframing)です。
親という存在を別の枠で捉えてみれば、恐れはなくなると考えた様です。
ところが私の中の親像があまりに強大でリフレーミング所ではなかった。

この場合どんな優れた枠組みを提供されたとて、私の中に変化は起こらないでしょう。
大切なのは、リフレーミングに到達するまでの準備体操をしっかりやるということです。
準備体操とは、「私は自由に感じて良い。自分の感性を信じて良い」という経験を
することです。

-カウンセリングの場で経験を重ねることで、”本来はこのように感じるだ”という
感覚が宿り、本来とは違う過去の自分の窮屈さと過ちに気がつき、それを招いた
元凶である親を愚かだったと理解する-
そのような過程が必要だと思います。

つまり私のようなACには、認証戦略の後、認知療法やリフレーミングが効くのです。
優れた事を言われても、心で理解できないということは、回復のステップに飛躍が
あるからです。

ACは心を殺すことが骨の髄まで染みこんでいます。
ならばまず、髄に染みこんだ毒を取ることが先決です。
どこにどういう風に毒が広がっているのか、どうやったら取れるのかをつぶさに
見ながら、一つ一つ丁寧に処理していくことが必要だと感じます。

人の心を見るには、それくらいの繊細さを要求されるのだと、私は思います。