カウンセリングが上手くいかなかったケース

今年1月から、カウンセリングサービスを始めて、上手くいかなかったケースに共通項があることに気がつきました。

よくクライアントとカウンセラーは相性というけれど、本当に相性の問題として片付けてよいものでしょうか。「相性が合わないからやらない」、そう言ってしまえば楽だけど、誰かの力になりたいと思って始めたことだから、きちんと振り返りたいと思います。

みつけた共通項

上手くいかなかったケースに共通する事項は、「クライアントの要求が、サービス出来る範囲を上回ったとき」でした。カウンセリングというと、なんでも受容してくれて、クライアントファーストでいてくれる、と思われてる節があります。ですから、クライアントは慣れてくると「これはいいでしょ」といろいろ要求をしてきます。

しかし、他のクライアントさんとの平等性を保ち、カウンセラーも負担を強いられずに継続してサービス提供していくためには、決め事は守らねばなりません。時間外にサポートをすることはできませんし、一度決めた約束を反故にすることはできません。でも今回だけならいいでしょ? 私には特別でしょ?と期待されるわけです。

もちろん、お応えできないのでお断りするのですが、そこで期待が裏切られたことにショックを受けられて、「じゃあ、辞めます」とひとっ飛びに結論に至ることがありました。とても残念なことです。

本当に支援が必要な人ほど、結論を急ぎやすい。嫌なことを解決するための耐性が身についていないからです。今回の件にかかわらず、日常のあちこちで結論を急ぎすぎるがあまり、生きにくい状態を自ら招いてしまっている。だからカウンセリングの中で、結論を出すより前にどんな考え方をすればもっと他の可能性も見つけられたでしょうね?と一緒に考えたかった。

自分を省みるための教え

こういうクライアントさんは、なかなか治療が継続しません。積極的な介入をすれば、介入方法が期待と違ったときは絶望され、消極的な介入(傾聴を主とする方法)をすれば、期待は裏切られないけど時間がかかってしまい、治らないじゃないと呆れられてしまう。結果として、カウンセリングジプシーになってしまう。

では、「クライアントの要求が、サービス出来る範囲を上回ったとき」は、本当にクライアントが辞める以外に手はないんでしょうか? 過大な要求をするクライアントが悪いのでしょうか?その迷いが生まれたとき、心の師である田坂広志氏の言葉が私を導いてくれます。

仕事や人生においてトラブルや否定的な出来事に遭遇したとき、
たとえ、それが「自分には責任の無い出来事」であっても、
まずは、それを「引き受け」、心の奥深くで正対し、
その出来事が自分に何を教えようとしているのかを考える、
自分が何を学ぶべきかを考える、
自分にとっていかなる成長が求められているのかを考える。
『成長の技法』第6回 | 仕事において起こったトラブルの「意味」を考える(田坂広志) - 個人 - Yahoo!ニュース

師がおっしゃるように、「その出来事が自分に何を教えようとしているのか」を考える。

今回の場合なら、要求は受け入れられないとしても、他の形で出来ますよと促すとか、相手の言葉の奥にある苦しみをつかみ取るとか、方法はあったはずです。
でも尊大な私は、「そんなものには応えられないよ」という気持ちが勝った。
まず「我」が立ったわけです。

世の中は1か0かの二択ではない。それがどれだけ過剰な要求であったとしても、じゃあなしね、ということだけが答えであるわけじゃない。
元々カウンセリングを申し込む人は、上手くコミュニケーションがはかれないから、ここへ来てるわけです。だとしたら、カウンセラー自らが率先してこうやったらいいよを示すことで、クライアントに気づきにつながる可能性だって十分あると思います。

切り捨てるのは誰でもできる。私が考え抜くからこそ当カウンセリングに価値を見いだしてもらえる。だとしたら、今年の自分は怠慢でした。
来年は、その怠慢さのなりを少しでも抑えられるよう、「反省」の技を磨いていきたいと思います。