強い両価性

高校時代友人からよく「KOMAらしいね~」と言われた。
その時は、何が私らしいのかさっぱり分からなかった。
でも今思い返すと、心当たりがある。

私らしさとは、-両価性が強いこと-

両価性とは、AとB両方の選択肢があって、Aをプッシュしたかと思えば最後にBを
プッシュするのように、どっちつかずの状態を指す。

人間は皆、選択に迷うことがあり、「ジレンマ」という単語を使う。
ジレンマを持つことは誰にでもあるだろうが、それが頻発するようでは問題だ。
で、頻発しまくっていた私。友人から見て”特徴的”に映ったのだろう。

実家では、話し手である母が、父、祖父、祖母をこき下ろす。→最後に「でも悪い人
じゃないの。こんなところもあるし。」と擁護すること が行われていた。
このように最後に正反対のことを述べるという手法を目の当たりにした私は、それを
無意識に自分に取り込み内在化していたものと推測される。

だから他者から見た私らしいは「筋が通っていないヤツ」ということになる。

様々な意見の中をウロウロする人間は、「~って言ったじゃない!」と責任を問われる
ことが恐くてしょうがない。
だからAも取るけどBも取るみたいな腐ったやり方に終始する。
当然周囲は一緒にいて、「はっきりせいや!」とイラつくこともあるだろう。
意見がない分存在感も薄い。
結果、私はグループでいてもいなくてもよい存在ということになる。

情けないけど、私らしさが私を「いても意味のない存在」に貶めていたのだ。

この両価性から抜けるためには、AとBのどちらを選択するのか、はたまたCの可能性
を探るのか、立ち止まって考える思考力を身につけることだ。
人に相談するのではなく、自分の中に考える力を育て、自分の力で解を導く。
導いた解には責任を持ち、もし矛盾が見つかれば、その都度耳の痛い意見も聞き
修正を重ねる。
そうやれば、私だけの考えが確立し、あちこちから検査のメスが入っているので、
よりほころびのない解答になる。

自分の中のふにょふにょと煮え切らない態度とおさらばするために、今ココで立って
考えようと思う。
そうできなければ、ACを克服したことにもならない。

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