お母さんに何も言われないことが貴方の一番になっていやしないか?

ー何かにつけて「お母さんはなんというだろうか?」が頭をよぎるー
そんな毒に侵されていないだろうか?
そしていつのまにか母親に何も言われないことが貴方の一番になっていやしないだろうか?

母が悲しまないように、母が喜ぶように生きる。
それって、母のために一生を捧げてるようなもんですよ?母の意向ばかり気にしてたら、母が亡くなった後どうします?
何をしたらいいか分からなくなって、自分の人生も終わらせます?

実際父親が亡くなってすぐ生きるのを辞めた娘を知っています。なんでもかんでも親に頼りきりの人生でした。

でもこれを読んでいる貴方は、親=自分 でないことに気づいてるはずです。これを機に、盛られた毒を抜いてみませんか?

母に支配された娘

母親の意向を優先する娘は、誤った相手を選択してしまう。

年頃になってデートに誘われる。そのとき決まって娘はいう、「お母さんに聞いてから返事する」。どこに行くにも何をするにも、お母さんの意向を確認。そのうち相手は「オレに気がないのかな?」と思いはじめ、誘うのを辞める。そういった事が繰り返され、なかなか彼氏ができない。

そんな娘もやっとおつきあいしたいと思える相手と出会った。今まで告白された中で一番誠実で、大切に思ってくれている。だが親の望む条件を満たしていない。そんな折、申し分ない条件の男性からプッシュされた。心は恋人に傾いているが、親を喜ばせようと思うならプッシュしてきた男性。悩んだ末、娘は後者を選んだ。

そして今、猛烈に後悔している。プッシュしてきた男は、別に娘を好きだったわけじゃなく、「結婚」がしたかっただけ。偶然見かけた娘の容姿がたまたま好みだったため、「結婚」に向けて猛進した。だから「結婚」が手に入った途端、他の女にうつつを抜かし始めた。

高齢になった娘は、世の中を恨めしい目でにらんでいる。
母親の意向に沿うように努力したのに、信頼できる夫も、慕ってくれる子供もいない。失われつつある体力・知力を前に、「なぜ私だけ不幸なんだ」と一人恨みの渦中にいる。

何一つチャレンジできない娘

昭和の時代は、黙っていてもそこそこの生活ができた。どんなポジションであっても、それなりに景気の恩恵を受けられたからだ。
その時代、青春まっただ中だった世代は、「黙って無難にしていることこそ、最上の選択」と信じてやまない。だから、前代未聞をとかく嫌う。

「女はそんなことするもんじゃない」「お母さんと同じ道を歩めばいいのよ」。娘を牽制して、知らない世界へ飛び出すのを阻止する親。そんな親の毒に侵された娘は、前代未聞な事が起きると、まず先に「お母さんがなんと言うか」を思い浮かべる。

思案の末、好ましくないことを言われそうだと、どんなに興味があっても辞めておく。いつもいつも「お母さんはどう思うだろう?」が真っ先にくるので、平成の世に生きてるのに、中身は昭和。「無難が金」の如く石橋を叩いて割って渡らない

何事も現状維持を心がけてると、時代の波に乗った人々にスイスイと先を超される。その成功を目の当たりにした母親が、「なんでアンタは器用に生きられんのかねぇ~」とボヤく。ボヤきを耳にしたあなたは、昭和の生き方を強制されつつ平成のスピード感も要求される矛盾に押しつぶされそうになる。

主体がないことの弊害

【母に支配された娘】も【何一つチャレンジできない娘】も、主体はいつも「母親」だ。
「お母さんが○○っていうから、私は○○する」の文脈で語られるように、「お母さんが○○っていう」が何よりも優先される。

私はどうしたいという主体に欠けた人は、超絶魅力がない。本人が目の前にいるのに、母の代弁者の役割しか果たさないからだ。世代も違う会ったこともない娘の母親と話したいという人がどこにいようか?ちゃんと自分で考え、行動しているから娘の実態を感じられるのであって、母親の意向を映し出すプロジェクターならただの映写機、機械。

機械に何度も会いたい、機械のために役に立ちたいという人がいないように、主体性のない生き方をしている人に興味を示す人はいない。だから必然的に孤立する。
孤立は人の心を蝕む。つまり主体なく生きていると、心の健やかさまでもが失われてしまう。

「違う」を前提にすれば道は開かれる

放っておいて主体性が生まれることは、まずない。数十年間「お母さん第一主義」で生きてきた人は、「じゃあ、あなたはどうしたいの?」という問いかけ一つで自分のやりたいことを見つけられるほど心も頭も柔らかくはない。

従って、恣意的に自分がどうしたいかを考える機会を設け、自分が怖いと思わない範囲で「こうしたい」を出していき、範囲を徐々に広げていく。日常に「自分が何をしたい」の思想を溶け込ませていく。

これをやるには、ノートを一冊用意して真ん中に線を引き、左側に「お母さんが望むこと」、右側に「私が望むこと」を対比しながら書いていく。なん項か埋まったら、全体を眺めて、自分と母親にこれほどの意識差があることを確認する。その上でもし自分の望むことを母親が反対しそうだったら、母親は何にひかっかってるのかを書き出して、フォローする台詞を入れて望みを伝える文を作ってみる。

母親と自分の望みが違っていても、恐れることはない。別々の人間、時代背景の違う人間、なのだから違って当然。

あなたはあまりに「一致」を追い求めすぎた。それも今日で終わりだ。
「違う」を前提にどう話を進めるか。それを当たり前に据えて、ここから我が人生を始めてみよう。


参考になる図書

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

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