美醜は大きい

出来たばかりのちっちゃな風船かずらの実を見ながら、「あ~ツルの感じと可憐な白い花とちっちゃな風船、なんてかわいいんだろう」と自然に思えました。

でも、もしこれかドクダミだったら、そう思えただろうか?と思うのです。

同じように次世代に向けて命を宿しているのに、ドクダミはかわいくなくて、風船かずらはかわいい。
なんでだろう?

人はなにを基準に、「きれい、かわいい」と「ブサイク、醜い」を理解しているのでしょう。
そこにはなんらかの要素ルールや、直線曲線の割合、色味があるのだと思います。

だとしたら、そのルールによって、他者の感じ方が美しいに傾いたり醜いに傾くことは、本人にどうしようもありません。
人は醜いことに非情な言葉をかけます。
小学校の時男子が女子に言う言葉を思い出せば一目瞭然。
そこで、言葉を言われた側が傷つく必要なんてないんです。
でも傷ついてしまう。

傷つくところをもっと詳細に見ていくと、双方自由に感性を持ちつつ、誰も傷つかない状態が実現すると思います。
そのうち考えてみますね。