アダルトチルドレンも生き直せるか?林文子氏から考える

現横浜市長林文子氏、ダイエー時代に彼女を知った。
とても興味深い人物で、自分のロールモデルにしたいと思った。

その著書「一生懸命って素敵なこと」の中に、親とのエピソードが書かれている。

氏は、親をとても尊敬しており、好意を持っていることがわかる。
親から引き継いだ志が、今なお氏を支えているのだと思う。

私も氏のように前に進みたい。でもなぜかそう簡単にいかないような気がする。
氏と私の大きな違い、それは-人間への眼差し-だ。
氏は人間に無限の可能性を抱いている。だからいつでも人間を好意的に見、好意の中で叱ることができる。
一方私は、人間を諦めの目で見ている。だからいつでも人間を批判的に見、戦闘態勢の中で折衝する。
多くの人が私に悪印象を持つのは当然である。

人生の出発点に深く関わった親。その親によって、子供の人間世界は彩られる。
ピンクや黄色など気分の温かくなる色で彩られた氏の世界は、包み込むような温かで尊重に溢れる世界。
ブルーやグレーなど気分が寒々しくなる色で彩られた私の世界は、排他的で支配的な世界。
同じ時代を生きているのに、こうも捉え方が違う。

私は氏とのギャップを埋めることが出来るだろうか?
私が「アダルトチルドレンだから」と卑屈になったり、逃げの姿勢、被害者の立場を固持していても、未来の扉は開かない。
もっと人間としての「核」に気が付かないと。

氏のように、親に恵まれる人はこの現代稀だと思う。
多くの親に恵まれない人間が、正常に育った人と肩を並べて、自信を持って生きられる時代が来て欲しい。
その時代を作るために、まず私がその方法を見つけ出そう。
たぶん、それが自分の使命だと思う。