~してあげるが口から出るうちは・・・

今揺れた。地震、恐いですねー。

さて、何気なく使っている言葉「~してあげる」は、時に恩着せがましく、時にとけ込むように使用されています。
労を伴う、金銭を伴う場合は、「~してあげる」の表現は当然と捉えられがちです。
そりゃそうです。「力」を注がないといかんわけですから。

でも、~してあげるといっているうちは、「自分」が強くそこにあって、自分ありきの状態なのです。

先日の記事コミュニケーションの基本で書いたように、人と上手く交わるには、まず「聴く」ことから始めます。その姿勢は即ち、相手ありきです。
コミュニケーションの基本が出来ていると、そのときだけ「自分」を滅却できます。
「自己が消えたように振る舞っても恐くない」→本当の自分は奥に控えていると知っているから。
弱い人間は自己を滅却できません。

「~してあげる」ということは、自分の労を誰かに認めほしい、認められないと自分は不幸だと言っているようなものなのです。
する・しないは自分に決定権があります。にも関わらず外的要因(相手のために とか相手に頼まれたから)で決定するから、「した」結果が思わしくなかったり、相手が喜ばなかったりしたとき、自分が苦しくなるのです。
「する」と決めたなら「やる」。決めた時点で、「自分の責任!」と割り切る方が心理的に楽なのです。

「~してあげる」とはとても微妙な線上のポジションです。
「やる」のは私、けど動機は相手の希望という立ち位置。
こんな繊細な綱渡り、私には最後までキープできそうにありません。
どこかで、恩着せがましくなったり、上手くいかなかったとき、相手のせいにしてしまう可能性がある。

自分で決めたことはすべて自分にたぐり寄せる。
そうやって生きていくことで、相手のせいにしない自分になれるだと思います。
だから口から「~してあげる」がついていたときは、人一倍自分の心に注意することにします。