「あなたのことを思って」は本当に思ってのことなのか
年末の忙しい時期、いろいろと贈り物のやりとりがなされます。
年配の方はお歳暮、若い方はクリスマスプレゼント等々。
そのとき、頭を悩ますのが「何を贈ったら相手は喜ぶか?」です。
相手の趣味趣向を完全に把握はできませんし、欲しい物は時と共に変わる。
相手のタイミング、要求度を見極めて・・・というのは、なかなか骨が折れます。
そこでお歳暮では無理だけど、クリスマスプレゼントで使われる手が「欲しくないものをもらっても迷惑だろう?あなたのことを思って、プレゼントを用意するのは止めておいた。これ(お金)で好きな物を買ってくれ!」というもの。
このワザって実に巧妙だと思います。
「あなたのことを思って」簑を着てやさしい顔をしながら、裏では「オマエの好き嫌いなんてわかんねー。考えるのすらめんどいし。」と言っているわけですが、なぜか簑の方にばかり気をとられて、(あなたって優しい人!)という解釈になるわけです。
このエセ優しさに人々がだまされることがナント多いこと。
人間はどこかで「自分は相手にとって重要な人だと思いたいフィルター」が掛かっている故かもしれません。
マサカ相手が自分のことを考えるのがめんどくせー程度にしか思っていないと知ったら、小さなプライドはズタボロですから。
勝手に脳内で「嘘も方便」も「嘘、いや真実に違いない」と変換されているわけです。
でも、考えてみてください。
相手の為にそこまで頭を使えますか?
私はよほど相手から恩恵を受けている場合以外、出来ません。
そして、おそらくほとんどの人がそうじゃないでしょうか。
ですから、「あなたのことを思って」簑は方便なのだと肝に銘じた方がいい。
そして、なんでもかんでもこの簑を振りかざして強引に事を進めようとする人がいれば、チクリと本心を串刺しにしてやれ。
本当に私のことを思ってくれていたら、べたーっとした重さを感じないものです。
それが恩着せがましく、どこか湿気を伴ったありがたさであるなら、それは間違いなくエゴ隠しの簑です。
オレオレ詐欺は金銭被害という目に見える被害が出るため社会問題となりますが、エゴ隠しの簑(詐欺)は被害が人の心の中に限定されるために、いままで放置されてきた問題ではないかと思います。