存在感を示せない自分

年末にかけて、自分が価値あるなぁと思う関係性以外をバッサリ切りました。
「そんなことしなくてもええんやないか」と思うのですが、自分にけじめをつけないとずっと何もできない子になってしまうと思ったのです。

では主にどんな関係性の人を価値がないと見切ったかというと

①相手が私のことを「話を聞いてくれるからつきあってやるか」と思っている
②相手は私とは付き合いたいという強いモチベーションがない

です。積極的に私が相手を惹きつけているわけじゃないつきあいは辞めたということです。
というのも、人生を振り返るとこのような付き合いは実にならないことが見えてきたからです。

私自身、いつでもどんなときでもお付き合いのある相手のことを全力で思い、その人が喜ぶならと随分労を尽くしてきました。

「他人の喜びは私の喜び」と本気で信じてきたのです。
でも、人生を振り返ると、あんなに思ってきた相手になんの気持ちも掛けてはもらえなかった。
一方的に私が相手に好意を寄せ、お金や労力を使ってきただけの関係でした。

一言で言うと

おつきあいをさせていただいていた

みたいな卑屈関係だったのです。

”おつきあいさせていただいている”というへりくだった考えは、相手の頭にどよーんとした雲を作ります。
私といて「あぁ、楽しかった!」というよりは、「あぁ、重かった!」という感じをもたらすのです。

後ろ向きで、説教臭くて、卑屈で、小難しい話をする私に相手を惹きつけるどんな要素があるというのでしょう?
強いて言うなら、黙って聞くことだけ。
だからその利点に人は集中する。
でも所詮「聴く」ではない「聞く」ですから、聞き手が他の人にチェンジしたってお相手はなにも困らないわけです。

自分にキツイことをいうなら

私は要らない人で代わりはたくさんいるツマラナイ人間だったのです。
意外です。あんなにも周りに気を使ったのにね。

だからもう自立しなければなりません。
自らが輝きを放ち、その光りで人を寄せ付けることが出来なければ、未来永劫私は一人ぽっちです。
特に今、友達が欲しいと強烈に思うこともないので、一人の時期だと思って満喫することにします。
そして、もっともっと自分にキツイ言葉を投げつけたいと思います。
キツイ言葉を通して、自分が如何に間違えた人間関係を構築したのか分からせてやりたい。

魅力ない・自分がない・真面目すぎて頭が硬い・常識に囚われすぎ・アホちゃうか?・なんでもいいですから、精一杯自分をいじめて、何かを拾い上げたいと思います。
そして罵詈雑言を自分に言えるくらい強くなった自分のことを、褒めてやりたいと思います。