自虐的について考える

独女通信に自虐ネタに関する記事があり、「自虐的ってどういう心理よ?」と思い悩んでしまいました。

「同じチームでよく面倒を見てもらっている独女の先輩に結婚の報告をした時、“おめでとう”の次に出てきた言葉が『もう私みたいに孤独死を心配しなくて済むね』と言われたんです。いきなりそんなこと言われてもねぇ(苦笑)」

これはなかなかのパンチある先輩の言葉です。
では自虐的とはどんな心理状態なのか考えていきましょう。

KOMAが思うに、自虐ネタを話す人は、基本的に「他人は敵、私を貶める存在」と思っているように感じます。

独女通信の例でいえば、結婚が決まった人もしくはその話を知っている周囲の人は、独女の先輩を「かわいそうな人」と蔑むと先輩自身が思っている
そこで、先輩は自分で自虐ネタを言うのです。
そうすれば-周りが「なんだ、先輩自分のこと分かってんじゃん!だったら言うの止めよ」とか「本人も気にしているんだからそっとしておかなきゃね」という配慮してくれる-と先回りして期待しているんです。
だれだって不用意に傷つけられたくないからね。
つまり比較的小さなエネルギー投資で、大きな損失を防ぐ方法として、自虐という方法が用いられている。
「人間は”自分が悪い”と自覚している人に追い打ちを掛けるように悪口をいえない」という性質を上手に使っているといってもいいでしょう。

我々は残念ながら世間という基準や枠組みの中でものを考える性質が染みこんでいます。
ですからちょっとでも世間ずれした人を見ると、仲間はずれにしたり、相手を否定したりしてしまいます。
本当は一人一人考えれば、マイノリティであっても十分胸を張って生きていけるはずなのにです。
外国で使う自虐ネタは、周りがどんよりというより、くすっと笑えるユーモアが混じっています。
それはどんな人間も受け入れられるという前提が働いているからだと思います。

私はずっと世間からはみ出しているので、叩かれて潰されて生きにくかったです。
だからこそ、たくさんの自虐ネタをいっていたかもしれない。
友人達の「そんなことないよ」が悲しく思えた時が思い出されます。
もっと素直に人と接したいと思っていたのに、鎧を被っていたのは自分だったんですね。

「人間を信じていれば、もっと違う言葉が口から出ていたかも知れない」と思うと、人を信じる偉大さと信じる力が生み出すパワーの強さに圧倒されます。
私が好きだなーと思う人は皆、信じる力のある人です。
素敵な言葉を使います。

思い通りにならないことは誰の人生にでもあります。私にだってあります。
そんなとき、自虐の世界に逃げ込まずに前を向いていけるよう、世間の基準を超越し人間を信じられる強い人間になりたいですね。