友達づくり苦手な人、この指とーまれ

これは、人付き合いのよく分かっていない人間の独り言だ。
人付き合いに悩んだことのある人だけ、読んでみて欲しい。

子どもの頃から感じてた劣等感

小学生のときはそうでもなかったけれど、中学生くらいから、学校外での友だちづきあい、というのが分からなくなっていた。

学校から帰った後、土曜や日曜、春休みや夏休み。
そういう「イチイチ会わないといけない」というシチュエーションで誰かと会うにはどうやったらいいか、分からなかった。

周りの子は、意識することなく約束して、あっさりとどこかへいったり、何かを一緒にしたりしてるように、私からは見えた。

だから、約束のない私は自分を「友だちづきあいの下手な落ちこぼれだ」と思っていた。

友だちづきあいの上手い子と自分

友達に囲まれている子を観察してみると、魅力があった。
芯を持ってる、人脈が広い、情報ツウ、見た目が華やか、しゃべりが面白い。

人を寄せ付けるものをもってた。

特に惹き付ける力のある子は、発想が素晴らしい。どんな逆境でも人々を楽しい気持ち、安堵した気持ちにさせてる。

ひるがえって私。会話が予定調和で、ツマラナイ。聞いた人が「あー、ハイハイ」ってなる感じ。
でもなぜ自分の会話がそうなるのか、何が足りないのか、が分からなかった。

自分に必要だったもの、足りなかったもの

年を重ねた今なら分かる。それは「承認」であり、もっと言えば「愛」だったと思う。

「承認」できなかったから、相手の自虐話に、「そんなことないよ~」としか言えなかった。揺らいでいる相手を勇気づけられなかった。

「愛」がないから、落ち込む相手を前に「次があるよ」とその場限りの対処をしてた。落ち込む心にそっと寄り添うことをしなかった。

相手のニーズを捉えきれず、いつも小さな落胆をさせてたんだと思う。
ゆえにだんだんと周りに必要とされなくなっていった。

対応を学ぶ場がなかった

じゃあ反省してちゃんとやればいいじゃないか!と思うかもしれない。

でも私には出来なかった。というか知らなかった。

会話を学ぶはずの「家庭」が、比較・否定・罪悪感の植え付け・評価、といった言葉で埋め尽くされてたから。
私の口からでるのは、親から学んだ、言葉だったのだ。

その場で相応しい言葉を考えるのではなく、既視感のある場面に、聞いたことのある言葉を、を当てはめてくだけ。

これじゃ、臨場感はないし、相応しい言葉も出ようがない。
面白くないのも当然だ。

友達作りに必要な精神を発達させる方法

だからといって、一生こんなパターンを続けていっていいのか? と考えるとそうは思わない。
かといって、体験(承認されること・愛されること)したことないことを想像だけでやってみる、というのも難しい。

そこで考えたのが、「本」や「テレビドラマ」で学ぶこと。
「本」なら図書館にいけば読める。家にテレビがあれば視聴できる。
友達づくりに必要だった精神発達は、それを読み、書き起こし、読み直すことでなんとかなるんじゃないか、と思ったのだ。

今のところまだ完全な体得には至っていないが、それでもちょっとずつ、私の家庭にはなかった考え方を吸収している。気づきが生まれている。

もし、「友達作り苦手だな~」と思ってる人がいたら、このブログを読んで、こんなにも人はあがいてるんだよ、と思って欲しい。
不器用なのは、貴方だけじゃない。