「~たくない」が出発点

一人ぼっちと思われたくない。
結婚できないと思われたくない。
無縁死したくない。

とまあ、「~たくない」が出発点で、足掻いている人大勢います。

正直どうなんでしょ?嫌を回避するためのモチベーションって。

一人ぼっちと思われたくない人が必死に周りにへつらって友達をやってもらっている様子っていい印象ですか?
結婚できないと思われたくないという理由で、「結婚」の話題になったとき、自分はモテるんだと吹聴する姿、美しいと思いますか?
無縁死したくないと、慌てて周りと親密になろうとしている人みて、つきあいたいと思いますか?

どれもこれも、見苦しい の一言です。

未来に向けて歩くというのは、嫌なことを避けるためじゃなくて、いいことを作るためだと私は思います。
嫌なことを避けるためだけなら、その人の人生の最大値はゼロです。
マイナスかゼロかを争う人生なんて、ちっとも魅力ない。
それよりかは、プラスかマイナスかで争った方が、ダイナミックレンジは大きいし、マイナスの重りを背負った上でのプラスって、喜びもひとしおに感じます。

サッカーの試合で、点を取られるか完璧に守るかだけだと観客はちょーツマラナイです。
点取りに行くか、守るかでハラハラするから、観戦するし応援するんでしょう。

人生が守備ゲームというのは、輝きがありません。
間違ったっていいじゃない にんげんだもの  ね!