いい感じで絶望しよう♪

よく「裏切られた!」という言葉を耳にする。
近しい関係や血の繋がった関係であればあるほど、「裏切り」の度合いが大きく感じられるようだ。

ところで、大切なこと忘れてないか?

全ての人は自分に都合良く生きている


例えば
大学で仲良しの友人は己の単位取得のためにレポートを書く、こちらのためにもう一つ別のレポートを書くなんてしない。
母親は中学生の息子を出迎えるために、友人との会食を2時間前にキャンセルしたりしない。
お腹が痛いとしゃがみ込んでいる同僚が、目の前にいる私に気を使って「ジュース飲む?」とは尋ねない。

上記の例に関して、読者は納得がいくだろう。
しかし

大学で仲良しの友人が、自分も知っている別の友人と遊びに行くのに、声をかけてくれなかった。
母親は息子が中学受験する当日の朝、友達との約束を優先して出かけてしまった。
たまたま持ち合わせた小銭が足りなくて、自動販売機の前でうろうろしている自分を見かけた同僚が「どうしたの?お金貸そうか?」と言ってくれなかった。

の場合、半数くらいの人が「気が利かないヤツだな~」とか「優先度を間違えてないか?」と思うだろう。

でもどちらの場合も、自分と他者(自分以外の全ての人、親も)は考えていることがまちまちであり、相手に”こうだろう”と期待を寄せることこそがおおいなる間違いなのだ。

そして恐ろしいことに、相手に少しでも金銭的、肉体的、精神的痛みが生ずるような要求はどんな仲であっても「NO」と言われるばかりか、そんな要求をしたら最後、もの凄い睨み付けられて、以後無視される。
人間関係は、それほどにもろく崩れやすいのだ。

だから、人に期待するということに絶望しなくてはいけない。
たとえどんなつながりであろうとも、その人・その個にもっとも有効なことを人は選択する。
もちろん、選択の奥に様々な哲学があるだろうが、どの哲学かは個人個人で異なるので、正体は不明のまま。

”あれをやってくれるはず”という甘い考えは、いづれ相手の怒りを買うことになる。
相手がなにをしてくれても、それはある意味奇跡と思っておくくらいで丁度良い。
それほどに、人と人は考えていることが違うのだ。