人は納得を求めている

歩いていて気がつきました。

歩行者ボタンのついた横断歩道があります。

運転手は歩行者信号が変わったので、自分の進路の信号が赤になりました。
目の前を手を繋いだ親子が渡ります。
自分が停止したのはこの親子が渡るためだと納得して、信号が青になるまで待ちます。

ここで、もし、無人なのに歩行者信号が変わって、進路の信号が赤になり停車しなくてはならなかったら、どうでしょう?
「はぁ?いたずら?なんで止まらなくちゃならんねん(怒)」となるのではないでしょうか。

そこに歩行者がいても、いなくても、目の前の信号は赤です。
そして道路交通法により停止は義務づけられています。
何も変わらないのに、納得か怒りかで分かれる。

なんとも不思議なことです。

これが人間の本質を表している気がしてなりません。
人は何のために、誰の役に立つために、自分を犠牲にしたのか分からないと怒りや虚しさに襲われます。
だから、自分を抑えるときは特に理由が必要なのです。

勉強しなさい、手伝いしなさいと親は子供の遊びたい気持ちを抑えつけます。
そのとき、納得する理由を子供に渡しているでしょうか?
子供とて一人の人間として人格も自尊心もあります。
子供を人間扱いせずに、命令通りに動くロボットと思っては大間違い。
やはり貴方と同じ心を持った存在ですから、納得は必要なんですね。