人の心の作り方~内から外へ

ケーキを作るとき、中を空洞にしていきなり外側だけをつくることはできない。
人間の心を形成する過程も同じ。

まず、子供の「自分中心」の世界をつくってやってから、「他者を気にする」世界を作る順番を守らなければ、まともな心は作れない。


ところが、親は子供の「自分中心」な世界を作ることに関心を払わず、「子供を手にした自分(親)が如何に周りから羨望の眼差しで見られるか」に関心を払うため、子供に「他者を気にする」ことを押しつける。

お行儀良くしなさい、ご挨拶しなさい、お勉強をしっかりしなさい、親の言うことをききなさい。

これのどこが子供の「自分中心」さを育んでいるというのか。

子供が小さいときは親が絶対的権力を有しているので、それでもいい。
しかし子供が成長して力を持ち始めたとき、親の過ちは取り返しの付かない形で露呈する。

親が大人の心を持っていないと、子供に「自分中心」の生活を保障することができない。
子供の心に目が向くよりも先に、親が自分の心に目を向けてしまうから。
子供がダンゴムシをたくさん集めて喜んでいることより、親がダンゴムシを毛嫌いしてしまう気持ちが親の心を支配する。

他者を重んじるとは、自分にはその価値観がなくとも、相手にはそういう考えがあるんだねと認める態度を取れるということ。
ある意味、他人とは完全には自分と融合しないという孤独をしっかりと受け止め、だからこそ他人を認めることしていかないと、自分を認めてくれる他人も現れないという現実に気がつくことだ。

人は親になる前に、異性と出会い、つきあう。
その異性との関係の中で、他者という存在をつかみ、融合し得ない間柄において、理解することの難しさを乗り越えた者が、本当の意味で親になる権利を取得するのだと思う。

生殖行為を行えば、子供という物体を誕生させることは出来る。
しかし、子供はこの地球に生まれれば、健全に育つわけではない。
物質的、精神的充足があって初めて、「人」になるのである。

その「人」になりきれなかったアダルトチルドレンが、こうやって社会の片隅で地味に苦しんでいるのです。