海で溺れた人を助けにいかないと冷たい?

夏まっさかり。水遊びの楽しい季節だ。
当然、水辺の事故も起きやすい。

そんな中、遊泳禁止場所で泳いでいた12歳の男児が溺れ、助けにいこうとした40歳の男性と共に死亡 という痛ましい事故があった。
男性と男児の関係は親子ではなさそうだ。

目の前で人が溺れていたら、何かしたくなる気持ちが湧くのは十分分かる。

それが小学生ともなれば、大人が力を貸してやって当然という考えも分かる。
けど・・・湧き起こった気持ちだけで突っ走って良いのだろうか?
自分の身の危険は省みなくてもよいのだろうか?

おそらくその男性にも家族があるだろう。
もし自分が死んでしまったら、その家族を泣かせることになる。
それは目の前の子供を救うことより軽視されることなのか?

自分で出来ない事に線引きをする必要がある。
世の中は全てハッピーエンドにはならない。
自分が助けにいくんだ!という気持ちに身を任せ、「助けなかった」という後悔をしないために、海に飛び込んだとしても、救えないことだって十分にあるのだ。

即座に手を出すことだけが、全てを解決する手段ではない。
大事なのは我が身を守った上で、その余力を以て他人を助けるということ。
自分をなげうってまで何かをするのは、家族のためだけにしなはれ。

もしこの男性と違う判断をするならば、救助隊は呼ぶだろうけど、それまではただ見守るしか出来ない非常に苦しい時間を過ごさねばならない。
小学生を救えない自分を責めるかもしれない。
一歩引いて我慢するということは、実は助けに行くことよりも何倍も辛抱の要ることだと思う。

でも、まず自分。それから他人。この順番は守らなければならない。守れないなら、人を助ける権利などないと戒めなくてはならない。

事故の遭遇に限定されず、全てのことはそぅやって自己犠牲を払わないこと。
自己犠牲は思わぬところに波及する。
自分を守れ。まずそれだ。