意志を持ってその場にいる人、偶然そこへ来ちゃった人

人には二通りの生き方があるように思う。
意志を持つ人生と、流される人生。
もちろん、ある程度流れに沿って生きざるをえない面もある。
身長160cmの人は2Mにはなれないし、目が3つ欲しいといってもそりゃ無理だ。
ただし、何か目標を持って自分をそこへひっぱっていこうとすることはできる。

私が好感を持つのは意志を持った人。
今の自分に出来ることを探し、前に進んでいく人。
そういう人は、ピンチになると頼もしい人に変身する。
人生はいつ何時も「正解」がない。
だから我々は都度考え、解を探し求めねばならない。
このとき、意志を持ってその問題に取り組もうとすれば、よりよき解にたどり着きやすい。
ところが、周りが決めてくれる~と待ちの姿勢でいれば、大概他人が得して自分が損する解にたどり着く。

もちろん、坊さんのように欲を捨て、挙げ句肉体までも人様のために捧げて良いというお人ならば、待ちの姿勢もよかろう。
ただ私は凡人なので、少なくとも自分が損するのはイヤだ。
そのなかで最も良い解をつかみとりたい。

その生き方は周りの人にも期待するところだ。
なぜって、周りが決めてくれる~って人はいざというときまったく役に立たない。
相手がいても、考えるときは独りぽっち、結論を出すのも私だけという状況に、私は耐えきれない。
必然的に、そういう人とはお別れの道を選ぶ。

だから私はSと別れたいと思ってばかりいる。
トラブルやハプニングに対して、当事者となって対処するということがない。
全部こっちへ丸投げ。
そぅいうことをされているうちに、相手に対して鬱陶しさが増す。
それに輪を掛けるように、また意志のない発言をする。
殺意を覚えることすらある。
待ちの姿勢とはかように相手を不快にするものだ。

このような生き方はなんぞいいことがない。
それでも世の中には多くの待ち受けさんがいる。
”私は決断を誤る勇気も、断られる恐怖に立ち向かう心もございません”ばりに、人の目ばかりを伺って、「決めて~」とにじりよってくる。
そんな人間不要なんだけどね。
ということに気がつかないヤローどもに、文句を言いたい。
「なんでもかんでもこっちへ押しつけるな!一員として考えることに参加せぃや!」