心のシャッター

配偶者Sとの話し合いの中で徐々に明らかになっていく、精神のいびつさ。

たとえば、正常な養育を受けた人間は「母の温もり」という単語からある拡がりをもった想像が出来る。

自分の小さい手を温かく包んでくれる母の手、友達とケンカして泣いて帰ってきたときに話を聞いて気持ちを分かってくれたこと、母の温もりを感じる手弁当、優しい母の笑顔などなど。
ところが、まともな養育を受けていない人間にとっては「母の温もり」とは「母」と「温度」くらいしか想像ができない。
そこで思考がストップ。

この2者の違いがSとの関係の中で私が感じるとてつもなく高い壁。

Sの心には硬い・厚い心のシャッターがあって、それは誰に対しても開けることはない。
自分の心の側に人を招くこと、自分の心を人に預けること、自分の心をさらけ出すことを生まれてこの方一切してこなかった。
キョーレツに思考が固く、世の中に対して常に「NO!」とデカい声を挙げている様。
さしづめ心の街宣車とでも言おうか。

これはSの母が母として全く機能してこなかった功罪である。
人間の心の基礎である「人と心を通わせ合うこと」をSに体験させてやらなかった。
その結果Sは心を扱う事が出来なくなった。
人の気持ちを受け取り、包み、救い、温める といったことを理解できない大人になった。
私がどれだけ心を尽くしても、心が見えないのだから尽くしていることでさえも見ることができない。
結果として、行動やモノで感謝することしか出来なくなっている。

私は人間として生まれた以上、心を通わしあいながら生きていきたい。
Sとの生活は私にとって報酬を与えられないまま吸い取られるだけの日々。
だからブログで何度も嘆いている。
誰か教えて欲しい。このブログのタイトルでもある「心の流れ」を流せるようにするにはSのような人間にどぅアプローチしていったらいいのかを。

それともやはり離婚以外、手はないのか。