そろそろ秋の気配も近づき、気温の下がる頃になった。
身体にまとうブランケットが欲しい。
ネットショップを見て回った。
海外の洒落たブランケットを見つけた。2種類ある。
一つはふわふわのウールブランケット、もう一つは薄手のコットンブランケット。
暖かさを想像すると、ウールの方がよさそうだ。
そこでウールを買ってみる。
届いたブランケット。画像のとおりふわふわだけど、触るとチクチクする、動物の臭いがする。うーん、想像と違うかも。
別の機会にコットンを買ってみる。
箱を開けると、確かに薄手だけど肌触りがよく、臭いもなく、暖かい。こちらもいい意味で裏切られた。
画面で見ただけでは、善し悪しはわからない。やはり手に取ってみないと。
つまり外からだけでなく、近くから確かめて初めてその良さがわかる。
受身な人とつきあう時の問題点
人に対しても同じで、寡黙で無表情な人の話をよくよく聞いてみると、意外な特技があったり、物事への造詣が深く独自の考えを持っていて、ユーモアあふれる人物だということもある。
相手の真の姿を見たければ、自分から近づいて、相手の心に触れようと努めなければならない。
ところが、先走って相手の心を決めてかかり、「アンタはトロいし、意見を言わないからアタシが決めてあげる」とぐいぐい来る人がいる。
そうすると、相手は侵略された気持ちになる。興ざめする。
来る側も来る側で、毎回決めるのは骨が折れるから、たまには代わって欲しいと思っている。
これでは、完全にミスマッチだ。
内向的な人の心を無理にこじ開けようとするのは、止した方がいい。それより近くにいて、自分安心できる相手だよとアピールする方が、時間がかかっても仲良くなれるし、互いにストレスを感じない。
性格と成熟度の関係
元々、人は外界に恐れを抱くように出来ている。発達が未熟であればあるほど、外界に気圧されて、内向性が強まる。
では、外向的な人は成熟しているか、というと、そうとは限らない。
恐れにフタをして、強制的に攻めに転じることで、外向的を装っている場合は、成熟度は内向的とさほど変わらない。どちらも恐れを克服していないという点で。
恐れに対峙する自信を備えることが、成熟が進むための条件である。
成熟した結果、外向的な性格を身につけた人は、たとえ相手が内向的でも、ストレスを感じない。
それは、内向的な人には内向的な理由があるのだから、尊重しよう!と思うからだ。
相手と自分を区別することで、むやみに相手の心に立ち入るのを押しとどめている。
この区別が、成熟した結果得た「わきまえ」という知性である。
成熟度と養育者との関係
私たちは養育者に強く影響を受け、外界への対応方法を習得する。
なんでもかんでも決めてかかる養育者なら、子供は自分で考えるより大人に考えてもらった方がよいと、周りに任せるようになる。
子供に親の役割まで押しつける頼りない養育者なら、子供は面倒なことは全て引き受けるべきだ!と思い込み、責任感の塊となる。
子供の意見を尊重し、辛抱強く支える養育者なら、子供は失敗しながらもくじけることなく、自分で解決する自主性を手にする。
養育者が子供を[一人の人]としてどれだけ尊重できるかで、成熟度が決まる。
受身な相手に苦しんでいるという人は、知らず知らずのうちに親代わりになっている可能性が高い。頼まれてもいないのに必要以上に重い責任感を背負い過ぎ。
受身な相手に出来ること
貴方が親にならなくても、相手は立派な一人の人間だ。ちゃんと生きている。
勇気を持って、親役を降りよう。
何かの役割を担わないと、人が離れていくと怖がっている人は、それに打ち勝とう。
自分の価値を、役に立つこと、世話を焼くことで、他者に担保してもらうのではない。
自分で決めるんだ。
何かすることより、何かしないことの方が、強さを試される。
今までしてばかりだったからこそ、しないことに、意味を見いだせないかもしれない。
だから、ただぼーっと待つのではなく、ときどき相手に安心をつくってあげよう。
安心を通して、自分は信頼に値する人間だよ~、とほのかに伝えてみよう。
返事を期待せず、安心を与え続けると、いつの日か閉じていた心が開き始める。
相手を小さな仏様だと思って、粘り強く仏様の教えを悟ろうとすれば、貴方の思いは通じる。
そこからが本当のつきあいだ。