捧げることも傷つくことも恐れるから独身

男性にとって障壁にならない結婚というのは、「自由に時間やお金を使えるけれど、弱ったときには看護してくれ落ち込んだときには慰めてくれる人が傍にいる生活」だと思う。

独身貴族が結婚しない理由は決まって「自由を奪われたくない・人に合わせたくない」であり、脱独身を決めるのは「寂しいから・孤独死が怖いから」なのだから。


確かに独身であれば、何事も自分の采配で決められよう。
何にいくら使い、どの趣味に熱中するかは勝手である。
だってそれは他人に影響しないから。
しかしひっくり返せば、他人とは無関係の生活を送っているのだから、いざというときも他人は無関心・無関与。

元々男児は自分の内側に意識が向きやすく、プラレールに代表されるような一人熱中遊びが得意である。
従って男性に限って言えば、他人を認識し、理解するというのは集団生活の中で徐々に学んでいくべき社会スキルである(女性はある程度学ばなくても出来る)。あくまでも経験と努力を重ねて獲得する能力なのだ。


ところが文明が発達し、少子化が進み、集団生活の中で男児が社会的スキルを学ばずとも、ゲーム機で遊び、親が話し相手になってやることで、能力不足はそこまでクリティカルな問題にはならなくなった。

そういう人が大人になって、それも全く価値観の違う女性という生物と相対するとき、価値観の違う相手を理解する努力をしてこなかった経験不足と社会スキルのなさから、適切な対処が出来ず、自滅する。
そんな情けない自分を二度と見たくなくて、「別にいいもんっ!」や「オレの自由にさせてくれる人なら結婚してやってもいい」という方向へ思想がすっ飛ぶのだ。

社会的スキルを身につけなくてはと学生時代や社会人を通じて痛い思いもしながら育ってきた人間から見ると、傷つきもせず、努力もせず、ただただ「理想の嫁さん欲しい」と曰う輩を見ると「だから結婚できないんだよ」というセリフを吐きたくなるのは至極当然である。

他者を理解する努力が必ず実を結ぶとは断定できないけれど、努力しなくては道は拓かれない。
これから益々社会は洗練され、一人で生活する不自由を感じにくい方向に発展するだろう。
すなわち、未婚率は上昇し、しちめんどくさい「他者を理解する」努力から遠のく風潮が加速するに違いない。
その一方でぬぐいされない孤独からくる不安感に潰されそうな人々が出てくるのも必至。

あと数年経てば未婚率の上昇をバックに、「レンタル家族」はもはや当たり前の社会インフラになるかもしれない。
わずらわしいつきあいは避けて、都合のいいときだけ人付き合いを金銭を支払ってする⇒諸外国には到底理解されないかもしれないが、日本限定で言えば十分成り立つ論理だと思う。