相手にたくさん条件を付ける人は排他的

結婚相手の条件を多く挙げる人は、人を人と思っていない。
自分に当てはめると分かる。

失った月日は取り戻せないし、顔の作り、現在の社会ポジション、親の状態、髪の毛の量、ほとんどが思い通りにはならない。
理想とは離れたそういうところを自らが安易に修正できないように、他者もまたこちらの理想どおりの姿やポジションではない。

それなのに相手の欠点「許せない!」とするのは、相手に「完璧なアンドロイドでいろ」といっているのと同じ。求めているのは人ではない。

そういう完璧追求型の人が、自分に甘く人に厳しいと評される。

しかし、実はそういう人こそ内心欠点だらけの自分を受け入れてない。
欠点を排除しようとして、見ないようにして、放置しているのであり、その欠点を補おうと他者を利用するつもりなのである。
ゆえに身の丈以上の理想の相手が必要なのだ。

自分の欠点と向き合えない人は、卑屈で、被害者意識が強くて、ちょっと相手から責められるとすぐに自分の殻に閉じこもる。
そして「全部、周りが悪いんだ!」と周りのせいにする。
相手にあーだ、こーだたくさんいったところで、それは受け止める相手が「アホラシ」と思えばそれまでのこと。
他者にどうこう条件を付ける前に、欠点だらけの自分に「まっえっか!」と思える寛容さを身につけることが先決。
自分の欠点を「あじ」だと思えるからこそ、他者の欠点も個性だと感じられる。
完璧な相手を求めているうちは、己は未だただのビックベビー。

結婚は大人同士がするものだから、ビックベビーにはその資格はない。
全員が結婚する時代は終焉を迎え、結婚の選択は自由になったのだから、是非成熟した大人同士が結婚して欲しい。
その方が、産まれてくる子供に幸せな環境を用意できる。