本当の苦しみから抜けるためには

モアさんからいただいたコメントについて、考えさせられることがあったので、取り上げたいと思います。

モアさんは未婚の母です。
先日の記事 夫婦が割れ鍋に綴じ蓋なワケ を読んで、「私たちは結婚すら出来ない障害者なのかもしれない・・・」という感想を持たれました。

私は敢えて記事の中で、「障害者」という単語を使いました。
それは、皆さんが「自分こそは健全だ!」という思いを打ち砕いて欲しかったからです。
「おごり」とでもいったらいいでしょうか、その気持ちがマイノリティへの攻撃や排除につながっています。

私たちは「幸せな結婚」「満たされた暮らし」という夢を抱いています。
その夢は優しい配偶者がいて、かわいい我が子がいて、苦しいときは支え合い、楽しいことは皆で共有するといった類のものです。
夢を持つことは悪いことではありませんが、その夢からずれた現実だったとき、卑屈になったり、自分を責めたり、自分で勝手に肩身の狭い思いをするという弊害を生みます。

世の中で夢通りのカップルなんてごくわずかです。
どこのカップルも円満なら、雑誌で「幸せ夫婦」なんて取り上げないでしょう?普通すぎてつまらないもの。

ほとんどのカップルが互いになんらかの障害を負っています。そう思えば、「隣の芝生は青い」と苦しんだりしない。
その組み合わせならではの問題がここかしこにあるんです。
相手にも障害があって、自分にも障害があると理解したときに、労りの気持ちが生まれたり、障害に対する想像を始めるのです。

現実はそんなに生易しいものではありません。
夢にほど遠い厳しさと向き合って生きていくのです。
その厳しさに耐えるために、我々一人一人がハンディキャップを背負っているという事実を受け入れ、その先に生まれる優しさを礎に生きていくのです。

体のいいことを言って、見放すのがいいのか、それとも厳しい現実を言って、お互いを支え合うのか。
私は後者の方が、その人のためにも社会のためにもなると信じて文を綴りました。