居場所を与えられることを求めるのはダメだ

「失恋ショコラティエ」を見ていろんなことに気づく。
モテる女性紗絵子は、モテるだけの理由がある。
相手の話を肯定的に返し、相手をいい気持ちにさせ、相手の役に立つように振る舞う。
その結果として、多くの人の心に滑り込む。

紗絵子の努力を見て、自分は薫子のように自分のことしか考えてないなと思った。

居場所を与えてくれる男性じゃなきゃイヤ、男がひぱっていってくれないとイヤ--そう思ってる。
始終ブスっとして、相手がご機嫌を取ってくれるもんだとお高くとまっている。

男性を喜ばそうと笑顔を返してくる女性と、私をもてなすのが当然と憮然とした表情の女性、どちらがなびくだろうか。言うまでもなく前者である。

私は、私の頭の回転の悪さを実感していて、だから相手の本当に欲しい言葉・力添えを見抜くことが出来ず、ハートをわしづかみにできてなかった。
居場所を作ることができてなかった。

それは、周りが悪いのでも、相性が悪いのでもなくて、私の生き方自体が、相手を遠ざけていたのだと思う。
見えない努力というのは、確かにある。
日々の生活の中で紗絵子のような態度をさらりとやってのける女性に、意中の男性をもっていかれる悔しさはさんざん体験したけれど、実はその女性も努力をしてそこまで登ってきたのであって、愚かな私はその努力に気づくことなく、自己否定ばかりしていた。

すべてのがんばりが昇華される補償はどこにもないけど、でも、がんばらなきゃ本番で力が出せないのは事実。
世間を甘く見ていた。がんばらないのに受け入れられるはずなどない。

人の目ばかり気にしてこびてはきたけど、相手をもてなしてはこなかった我が人生。
気を遣うところが違ったよ。だいぶ違ったよ。