「ウザい」を真剣に考えてみる

表題の言葉はけしていい表現とは言えません。
それでも、この言葉に代わる最適な表現というのを私は知らない。

では、この表現が最も適した形で使われるのはどういうときかというと、

相手から一方的に何かを押しつけられた時です。

たとえば、不要なモノを”あなたのために”と押しつけられたり
相手の高揚している感情を押しつけられたり。

年賀状などは、その最たるもので、子供のド・アップ写真、海外旅行に行ってきたぞ自慢、新築の家をバックにピース写真といった、受け取る人の気持ちを完全に無視した形の紙暴力を平然とやられると、ウザい!とはねのけてしまいたくなるのです。

村社会を経て個社会に移行しつつある私たちは、過去の遺物を引きずって、村社会で重宝されてきた同調を基軸に物事を考えがち。
一方で自身の心を優先したいという気持ちも芽生えている。
この双方のぶつかりあいのなかで生まれた言葉こそが、ウザいという火花なのではないでしょうか。

言葉を言う側がちょっとした配慮ー受け取った側がどのような気持ちになるかを想像するーをすれば、ウザいという火花を回避することが出来ます。

言葉は意味があるから、そこにある。
言葉は感情が発生するから、生まれる。
感情は情緒の圧力が生じるから、湧いてくる。

キタナイ言葉だからといって、速攻で排除するのではなくその背景を探ることで、実はもっと手前に問題があったのだと気づくことが出来ます。
できるならば、自分の言葉で他人の感情を害したくはないですね。

立ち止まって振り返って他人に接した自分を反省するところから初めてはどうでしょう?