一生懸命補償行動してる自分

ここ数年、ムダに同じ所をぐるぐる廻っています。
その場所とは
私より不幸と思われる人の集まる場所。

勝手にその人達を自分よりも不幸と決めつけて、「私は、そこまでじゃないよね」と一生懸命自分の心を守っているのです。

執拗なまでにそれを繰り返す自分。
よほど心が安定していないのでしょうか。

人は自分が無意識にしている行動にさほど意識を向けません。
でも無意識な行動にも、補償行動はしっかりと潜んでいます。
独身同士が「なんで結婚しないの?」と互いに尋ねることはありませんが、
既婚者が独身に向かって「なんで結婚しないの?」と尋ねることはままあります。

もし「結婚しないの?」という質問が普遍的になされる質問であれば、だれが言ったっていいはずです。
しかし、その言葉の使い手は、限られている。

自分が安全圏にいて、相手がそこにいないとき、さも素朴な疑問のふりをして、小さくマウンティングをしているのです。そうやって自身の自信のなさを覆い隠しているのです。

補償行動をしている自分は、ずぅーっとおなじ場所に居ます。
一歩をなかなか踏み出しません。
恐いんでしょう。自信がないんでしょう。
それでも前に行く勇気が必要。

まずは深呼吸、それからかな。