他人基準で生きる日本人の婚活における弊害

日本では、女性がアラサー、男性がアラフォーに近づくと婚活熱を帯び始めます。
そして婚活する理由が

・子供が欲しいから
・周りが結婚したから
・老後が心配だから
・親がうるさいから

なのです。

ちょっと不思議だと思いませんか?

結婚は生き方の一種です。1番目の理由はともかく、2番目以降は、自分の意志と

いうより環境による誘導?な感じがします。
そして1番目の理由も結婚して子供が生まれるまで実現できるか分からない。
もし子供目的で結婚した場合、それが叶わなければ離婚なのでしょうか?

結婚する理由が、自主的なものであれば、どんな理由でもいいと思います。
ただ、日本的な理由「みんなと同じじゃなきゃ、不安」というのは、自身を不幸にします。
海外では、みんなと同じ事なんて望みません。
そもそも、人は人という価値観ですから。

みんなと同じでなければ、どうして不安なのでしょう。

一つは、周りが自分に”ふつー”であれと望むから。おばちゃんたちの”ふつーでは
ない人”に対するバッシングは尋常じゃありません。
いくらポジティブな思考を持っていても、ずっと叩かれるのは精神的に応えますね。

もう一つは、自分独自の価値観に自信が持てないから。
自分の中の価値があいまいで、信じることができなければ、多勢の持つ価値
を示されたときに、自分の内部が揺らぐ。
揺らいだ結果が、多数意見へのひるがえりなのです。

誰からもバッシングを受けず、自分の価値観==世間の価値観 であれば、どれだけ
楽なことでしょう。
ただしこの生き方には痛いしっぺ返しが待っています。
そのしっぺ返しとは、自分が納得しない人生を歩むこと。

自分らしく生きるということは、自分以外の人間の賛同を得られる可能性は低く
傷つく覚悟と道を切り開く勇気が必要です。
他人基準で生きるということは、他人からの賛同を得られる可能性は高く、傷
つかない代わりに、自分という存在を感じられない人生になる。

どちらの道を選ぶも自由です。ただ、両方の道があって、どちらを自分が選んだか
を自覚して欲しい。どっちも長所・短所がある。

婚活のネタを見ていると、どうも悲壮感と後ろ向きな雰囲気が漂うのは、仕方なく
他人基準に合わせて結婚しようと努力しているからではないでしょうか。
大切なことは、どんな生き方であっても、自分が笑顔で前を向けることです。

私個人としては、そこまで結婚に拘らなくてもいろんな生き方があると思うけどなぁ。