完璧なんて、目指さなくていい

小さい頃、周りは自分より優れている、企業の作るものは不良品なんてない、政治家はウソを付かない、オリンピック委員会は公明正大だと思っていた。

自分以外の全てのものが、確実で優れていると信じていた。
だからテストで60点を取る自分が嫌いだった。

でも今になったら分かる。
他者は自分より優れている点も劣っている点もあり、製品には歩留まり率があり、一部の政治家は政治資金を私物化し、オリンピック委員会は裏で賄賂を授受している。
世の中はホワイトどころか、黒に近いグレー色である。

もし自分に子供がいて、ズルして100点取ってきたら、心の底から褒められるだろうか?
その100点は頑張った結果としての100点なのか、そうじゃないのか、という処の方が、テストの点より大事じゃないか?

目に見えるものは分かりやすいし、評価しやすい。
でもホントに評価すべきは、見えないとこ、即ち人知れず努力していることとか、気を配っているところなんじゃないか?
そういうのって、完璧とか不完全とかって色、付けられないよね。

だから完璧なんて目指さなくていいんじゃない。
自分ができる精一杯を目指せば。
ズルの100点と、努力した60点、どっちが価値ある点数だろうね?