「自信がない」について

「自信がない」と嘆く人は、多いと思う。
自信のない人に、どうやったら自信が湧くかと聞いたら、[試験に合格したら][偉い人になれたら]となにかしらんのハードルを超えたときを自信を持ったとき、と答える。

ところがそのハードルを越えたとしても、かならずしも自信は芽生えない。

なにかをクリアしたときというのは、自信の条件ではない。

そもそもなぜハードルを自信の源と考えるかというと、そういう思考のクセづけがされているから。
「テストで100点をとったから偉いね」「お手伝いするなんて賢い!」といった【ハードル+承認】の経験を積むことで、その方法が染みついている。
親からの承認という最高の安堵感を手に入れるには、ハードル超えというのが前提で、だからこそ、大人になっても同じように考えるのだ。

でもハードルを越える度に喜びは増すものの、肝心の自信がついてこない。
むしろ器用にやり遂げる自分に冷ややかな目線を送ってしまったりする。
そして自信のある人はどしっと構えてるのに、自分にはそれがないと落ち込んだりする。

すなわち、ハードル越えが自信の源と考えることそのものが誤りなのだ。
自分が承認されるためには、実はハードル超えなど不要である。

「貴方は貴方だから愛しているのよ」に勝る承認はあるだろうか?
要するに私が存在していれば、それで愛される価値があると言っているのだ。
承認というのは、実はこういうところに存在している。
何かが出来るとか、合格したとかそういう条件付けをすることは、裏を返せばそれが出来なくなったら、不合格になったら、「貴方は認められるに値する人物ではありません!」ということになる。
そうすれば、常に出来る自分・完璧な自分であらねばならず、息が詰まる。
それのどこが、どっしりと構えた自信溢れる世界であろうか?

自信というのは、何事にも動じず冷静に判断し自分を信じる状態である。
外の評価に左右されるものではない。
他人に分かるような目安で自信を語るのでなく、「私は私です」ということそのものが自信なのである。