言葉のクセに見る人の心理

人間、誰しも言葉のクセを持つ。
その中でも、特に多くの人に使われており、かつ、悪い印象を与えてしまうものに
「~ですが」が、挙げられる。

この「ですが」。使う人は使うし、使わない人は滅多に使わない。
なぜ人によって違うのか?考えてみよう。

本来と違う使い方をされる「ですが」

「ですが」と言うからには、前の文は後ろの文と反対の意味になっているはず。
にもかかわらず、「田中ですが、横田さんいますか?」のように、相反していない場合にも使われる。

この場合の「ですが」は、理由を述べている。
「(近所の)田中です(けして怪しい者ではありません)。だから(顔見知りの)横田さん(と話がありますので)いますか?」

ただし、理由だけで「ですが」を使っているのではない。

理由だけなら、「近所に住んでいる田中です。横田さんいますか?」でいい。
「ですが」と相反するような体裁をとるには、心理的にちゃんとした意味がある。

「ですが」の心理的意味

自分の存在が心許ない人は、思い切りが悪い。
二本ある足を両方同時にA領域からB領域に移動したがらない。
Aも持っていたいし、Bも持っていたい。だからAとB同時に手に入らないか?と悩む。

先の例だと、
Aに相当するのは、怪しい者だと思われない安全圏、
Bに相当するのは、横田さんに会いたい希望圏(私の造語です)。

心許ない人は、保険をかけて安全圏を確保した上で、そぉ~っと希望圏に片足を伸ばすため、とにかく理由が欠かせない。
つまり、「ですが」という接続語は、絶対に欠くことのできない大黒柱のような存在である。
試しに「ですが」を使わない文章を書いてください、というと、途端に筆が止まり、言葉に詰まる。
大黒柱なのだから、当然だ。

これに比して、自分の存在のしっかりした人は、安全圏など全くもって不要。あっさりと両足とも希望圏へ移動する。
ぐだぐだと説明をする必要がないので、素直に希望が出てくる。

自分を変えるための一歩

カウンセリングを受けて、本当にその人が変化し、成長したとき、言葉が変わるという。
「ですが」のようにしがみついていた安全圏が露と消え、代わりに自分の意思、すなわち希望圏への思いが素直に出てくる。

周りは、その素直さに心打たれて、ささやかながら応援してくれる。
場合によって、警告も受けるだろうが、それは慎重にやれよ!という応援でもある。

いきなり言葉を変えるなんて荒業はいらない。
ただ、自分がどのような言葉を使いがちなのか、客観的に見てみるのはどうだろう?
これなら、誰しも負担なくできそうに思う。

言葉を通して、自分の人となりを理解する。これも大事な自分理解の一歩だ。