読まれない文を書いてしまうワケ

私が書くような押しつけがましく堅苦しい文が嫌われるのは、ほとんどの人の心に「恐ろしい親」が棲みついているのに、
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追い打ちをかけるように、命令されてる感じがするからだと思う。

自由な文章を書く人

はてなブロガーのヒトデ祭りさんは、私と真逆で、読む人を受容している。己の心の弱さをさらけ出して、「等身大の弱い自分でもいいよね」というメッセージを送っている。
そのまっすぐで素直な心が、深い共感を呼び込んでる。

働いてる人は皆、厳しいノルマやキツイ要望に心がドッカリと疲れている。だから会社からの帰り道、ほっと息をつける瞬間に、”戦闘服を脱ぎ捨てた弱音吐きまくりの自分でもいっか” と思わせてくれるヒトデさんに心癒やされる。

気取らず弱い自分をさらけ出してる文が、まるで「きみも弱くたっていいんだよ」と語りかけてくるようだ。

私が堅苦しい文しか書けない理由

翻って、私。私が堅苦しい文しか書けないのは

自分がスゴい人間じゃないと意味がない

と思い込んでるから。
目を三角につり上げた親が「非の打ち所の無い子どもでありなさい!!」と強く求めてきたため、私の中には「優れてないと人にあらず」といった極端な思い込みが生まれた。

それだから弱みが出せない、出来ないといえない。いつでもどこででも自分がどれだけ優れてるかを証明するのにやっきになる自分が現れるようになった。

そんな必死さは読んでる人を窒息させる。

楽な方向の自分を作る

ブログを読む人は、知識や賢さを求めているのではなく、共感や癒やしを求めている。
たとえて言うなら、心の銭湯を求めている。

一生懸命働いて心をすり減らしてるのだから、プライベートくらい心を解放したいよね。自分の心を正当化してやりたいよね。

そういうのに応えられる文が書けるようになるために、「自分がスゴい人間じゃないと意味がない」という思い込みを外す方向で自分を調節する。
ダメな自分を出せるようになる。

隙のない自分作り、じゃなくて、隙だらけの自分を作っていこうと思う。そうしたら、今まで無縁だったかわいげ気なるものも生まれるかも知れない。