「いいね!」をもらえれば人は強くなれるのか?

私たちはとにかく他者から「思われたがる」。

インスタグラムで自分をよく見せ、楽しい体験をしている人だと思われたがる。
結婚式に代理出席を頼んで、友達が多い人だなと思われたがる。
学校で昼食時一人で食べてるのを見られるのが嫌で、隠れて食べて、寂しいヤツだと思われたがらない。

数十年生きてきた中で、誰しもがこれに似た感覚を一度は感じたことがあるだろう。
けれど、今でもこの感覚でいいのか? 同じ感覚のまま生きたとしたら、自分のためになるのか?

そこは、はなはだ疑問だ。

きらびやかさを見たがる人とありのままを受け止める人

自分をよく見せるのは、手間はかかるけど、楽しい。
「いいね!」をもらう高揚感を手にすることもできる。

心が弱ければ弱いほど、人は弱さから目を反らし、きらびやかさを見たがる。
その方が気持ち的に楽だし。

ただそうやってきらびやかさに傾倒していくと、どんどん止められなくなって、盛られた自分に踊らされる。
踊って、踊って、踊らされまくると、いつか限界が訪れる。そのときになって初めて、大切なものが手元から離れて入ってることに気がつく。

信頼、安心、愛。
人生に欠かすことのできないこれらは、地味な世界の中に存在する。

賢い人は早々に気づいて、きらびやかさから退出する。
芸能人が自らの病名を告白したり、性的マイノリティーがカミングアウトしたり。
ありのままの大切さを表明する。

きっとめちゃくちゃ勇気がいっただろう。失敗したときのことを考えて逃げ出したくなることだって、あっただろう。
けど逃げなかった。向き合った。その震える心を鼓舞する姿こそ、周りに勇気を与える行為ではないだろうか。

違和感をもたれても立ち向かう勇気こそ強さの源

日本人は、ありのままに不寛容だ。
世間の常識を振り回して、相手を「オカシイ」呼ばわりする。

背中に多勢をはべらせて、出る杭叩きをする。
そして自分は極力「人によく思われる」状態でいようとする。基準は、「世間がこう思うから」「従来からこうだから」。
自分の頭で考えない。

だが、「人から思われたい」「人にヘンに思われたくない」という思いは、「ありのままの自分」を切り裂くナイフだ。
外からあからさまな攻撃を食らうことはないが、内からゆっくりと肉体が切り刻まれていく。

そして年を重ねたとき、もはやボロボロになった身体と、空っぽの頭だけが残る。
そんな人間、強いのか?

私たちが想像するほど、人に「いいね!と思われる」ことには効果がない。言ってみればパーティのクラッカー程度。
派手に見えるけど、余韻もなければ、記憶にも残らない。

そんなもののために、すべてをかなぐり捨てたり、嘘で固めて自らを騙したりするのは、本当にいいことか。
それよりも、たとえ自分が標準からズレていたとしても、それを認め、それを口にし、周りへ「そうだよね。違和感いだくよね。でもこれが自分なんだ」っていうことの方が100万倍大切だと思うし、強くなれる方法だと思う。