信頼される人とされない人の違い

あなたは胸を張って「自分は周りから信頼されています!」と言えるだろうか。

おそらくほとんどの人は「自分は悪い人とは思われていないと思います」にとどまるだろう。めちゃくちゃ信頼されるわけではない、かといって疑われるほどでもない、といった人が今一歩及ばずな点とは一体なんだろうか?

言葉の違いからその理由を探っていこう。

この違い、説明できますか?

たとえばあなたは約束の時間に遅れたとする。
そのときなんと言って謝るだろう?

  1. 遅れてしまって、ごめんなさい
  2. 待たせてしまって、ごめんなさい
  3. 時間を無駄にさせてしまって、ごめんなさい

どれも謝罪の意を表している。けど1に比べて2、2に比べて3の方がより深く反省しているように思える。一体何が違うのだろう?

誰目線の謝罪なの?

それを知るために、各々誰目線の言葉であるかを考えていく。

まず1は、遅れてきた自分目線の言葉である。
自分が遅れた。だから、自分が遅れたこと、が悪かったー
そう言っている。

2は、相手目線の言葉である。
ー自分が遅れることによって、相手は待つことになった。だから、相手を待たせてしまったことが、が悪かったー

では3は?
これは、自分が責任を取るべきという目線の言葉である。
自分は遅れるべきではなかった。そして遅れてしまったことで相手の貴重な時間を奪ってしまった。そのことが一番悪かったー

3つを比べると、一番責任を痛感していそうなのは3。己がしてしまったことを真摯に受け取り、反省の弁を述べている。この責任を取ろうとする心持ちが、信頼を寄せられる理由である。

責任を取れる人とはどのような人か?

そんな3の言葉を言えるのは、どのような人物だろうか。

1や2に比べ、どっしりとしていて、静かで落ち着いた人物に思える。相手に迷惑を掛けてなお、取り乱すことなく堂々としている。つまり、謝罪をしながらも、けして自分を崩すことなく目の前の事象にたち向かう勇気のある人物。

これを「主体のある人」という。
主体のある人は、何事も自分に責任がある、を前提にする。だから周りから「この人ならどんな辛い状況でも逃げない」と思ってもらえる。

もちろん、いつも謝るわけではない。理不尽な要求やつけあがり行為には毅然とした態度で向き合う。それは責任の範囲は自分が決めることであって、他者に決められることではない、という信念があるためだ。なんにでも責任を感じてペコペコしている人とは違う。

3に近づくために

実は3の振る舞いの出来る人にとって1や2の振る舞いをすることなど朝飯前である。というのも、ある日いきなり3になれるのではなく、1や2を経験して「これじゃ、やってけない」と痛感し、殻を破って3へとのし上がってきたから。

結局1や2はただの通過点。でもそれに気づかずにいる人は、いつまで経っても「悪い人とは思われていない」止まりとなる。

信頼されるためには、何事にも主体的になること。責任を持って常にやるべきことをやる、というポジションから外れずにいよう。その忍耐強さと何事も恐れぬ強い心こそが、信頼を獲得する秘訣だ。

だが、残念なことにそれをできる大人はずいぶんと減った。だからハラスメントがあっちこっちで起こってるんじゃないだろうか。